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【大相撲】白鵬33度目V 師に恩返し 大鵬抜き単独史上最多

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【大相撲】白鵬33度目V 師に恩返し 大鵬抜き単独史上最多

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単独史上最多の33度目の優勝を決め、報道陣に囲まれて支度部屋に向かう白鵬。大記録の感想は「千秋楽にならないと分からない」と答えた=2015年1月23日、東京都墨田区・両国国技館(共同)  大相撲の横綱白鵬(29)が東京・両国国技館で開かれた初場所13日目の23日、13連勝で単独史上最多となる33度目の優勝を決めた。国民から愛され「昭和の大横綱」と呼ばれた大鵬(1940~2013年)の記録を抜き、モンゴル出身の横綱は前人未到の領域に入った。大鵬が最後の優勝を果たした1971(昭和46)年初場所から、ちょうど44年。国技の歴史的な節目に、祝福の声が上がった。

 取り直しも集中力キープ

 2敗で追っていた横綱日馬富士が横綱鶴竜に敗れ、結びの一番で白鵬が取り直しの末、大関稀勢の里に押し倒しで勝ったため、13日目にして白鵬の優勝が決まった。

 大事な結びの土俵。白鵬が見せたのは、すさまじいまでの勝利への執念だった。相手得意の左四つにも右をおっつけながら、一気の寄り。土俵際で稀勢の里の右小手投げを食らう。軍配は白鵬に上がったが、物言い。「前に出ていたので勝ったか駄目でも、もう一丁」。取り直しにも集中力を切らすことはなく、先に土俵へ。今度は相手の圧力を殺すように、立ち合いで左に動いた。稀勢の里の左おっつけにやや体勢を崩したが、立て直す。もろはずで前へ。渾身(こんしん)の右押しで決着をつけた。

 「大事な一番でしたから。取り直しでの優勝33回。楽ではなかった」

 支度部屋でも、勝利の余韻に浸ることができずにいた。

 昨年末、何かとかわいがってくれ、「角界の父」と慕った大鵬の納谷幸喜氏の三回忌法要2日前に墓参りした。直前の九州場所で敬愛する“師”に並ぶ32度目の優勝を果たし「恩返しができた」と涙を流したが、心境に変化が訪れた。

 「相撲界では勝つこと、超えることが本当の恩返し。初場所で決めたい」

 強い心成長した「少年」

 苦しんだが、土俵際の窮地を救ったのは記録更新にかける思い。技よりも体よりも、際立ったのは“心”の強さだった。

 最近の白鵬は口癖のように「62キロの小さな少年がここまで来られるとは誰も想像しなかったと思う」と繰り返す。辛抱し、希望を捨てなかったのが相撲人生の出発点だった。

 2000年10月に来日し、相撲部屋が決まるまで大阪府の実業団に身を預けた。一緒に来た仲間の受け入れ先が決まる中、色白でやせっぽちだった15歳の少年は取り残された。2カ月が経過して帰国が翌日に迫り、航空券を渡されると「帰りたくない」と泣き叫び、大相撲への憧れを訴えた。

 長身を買って弟子にした宮城野親方(元幕内竹葉山)も大成を見込んでいなかった。最初の3カ月は食べて寝るだけ。どんぶり飯3杯に牛乳5リットルで無理やり体を大きくした。稽古場では何十番取っても負けに負け、ふすまの向こうから悔し泣きが聞こえた。だが、決して「帰りたい」という弱音は吐かなかった。

 記録更新に期待

 もう追うべき背中はどこにもない。日本相撲協会の北の湖理事長は「白鵬はこれで終わる横綱ではない。優勝40回を目標に置けばいいし、可能性もある」と話す。

 今後、白鵬が更新するのが確実とみられる記録には、現在893勝で史上7位の通算勝利数(最多は魁皇の1047勝)、現在799勝で史上4位の幕内通算勝利数(最多は魁皇の879勝)などが含まれる。そして、3月に30歳となり円熟期を迎える白鵬の視野には、不滅とされる双葉山の69連勝への再挑戦も入っているに違いない。(SANKEI EXPRESS

 ■白鵬翔(はくほう・しょう=本名・ムンフバト・ダバジャルガル) 東横綱、モンゴル・ウランバートル出身、宮城野部屋。2001年春場所初土俵。06年夏場所初優勝。07年名古屋場所で新横綱。10年初場所から九州場所にかけて史上2位の63連勝。殊勲賞3回、敢闘賞1回、技能賞2回。得意は右四つ、寄り、上手投げ。父のジジド・ムンフバト氏は1968年メキシコ五輪レスリングで銀メダルを獲得した国民的英雄で、モンゴル相撲の元横綱。192センチ、160キロ。

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