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友好のワイン 8000年の歴史 グルジア・トビリシ
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歴史的な建物と近代的な建物が同居する首都トビリシの街中。ソロラキの丘の頂上に向かってロープウエーが走っている=2014年12月23日、グルジア(黒川信雄撮影)
旧ソ連グルジアの首都トビリシの空の玄関、トビリシ国際空港。パスポートチェックの検査官の男性の前で、記者は少し緊張していた。ロシアでは、空港の検査官は新聞記者に対し概して厳しい質問やチェックを行う。グルジアでも、きっとそうだと思っていた。
チェックが終わり、ようやく入国できると思った瞬間、「ちょっと待ってください」と呼び止められた。“えっ! 何か不備があったか”と、神妙な顔を向けると、検査官のボックスから手が伸びてきた。「おみやげです。グルジアにようこそ!」。手渡されたのは特産の赤ワイン。検査官が屈託のない笑顔を見せると、こちらは拍子抜けしてしまった。
グルジアは今、欧州連合(EU)加盟に向けた足取りを早めている。昨年6月には、EUとの連合協定を締結。空港内のあちこちにEUの旗が目につき、「われわれは欧州」との思いが伝わってくる。おみやげのワインも、欧州のように“開かれた”国であることをアピールする思いが込められていると感じた。
トビリシの街中も同様だった。街の中心部にある国会議事堂には、グルジア国旗とともにEU旗が掲げられていた。「ここで、バラ革命が始まったのです。人々は自然とこの場所に集まり、それが革命になりました。誰も血を流さなかったのです」。市内の大学に通う女子大生が、誇らしげに語ってくれた。
バラ革命とは、2003年11月の議会選挙で不正があったとして、数万人の市民がこの議事堂前や市中心部の自由広場で抗議の声をあげ、政権が交代した革命だ。すでにソ連からの独立後の話だが、市民の間には「国民の自由な意思が政権を変えた」経験として、新たなグルジアを象徴しているとの思いがあるようだ。
トビリシの街並みは、ムトゥクバリ川沿いに続く、中世を思わせる石畳と木造の家々が立ち並ぶ旧市街に象徴される。「これが旧ソ連?」と思うほど、ソ連時代の特徴である無機質なコンクリートの建物が少ない。なかには、硫黄泉を引き込んだという、独特の浴場もあった。トビリシという名前はグルジア語の「トビリ(温かい)」に由来しているとの伝説もあり、その理由はもちろん、この浴場にある。
川沿いに作られた家々の多くは、川を挟む小高い丘の中腹に建てられている。そのため坂道が多いのだが、丘を一気に登ることができるロープウエーが完成して、訪れた人々を喜ばせている。ロープウエーを登り切った丘の上には、「グルジアの母」と呼ばれる巨大な像が立つ。右手には剣、左手にはワイングラスを持ち、敵との戦いと友情を象徴しているのだという。
ただ郊外に出れば、ソ連時代の住宅街がやはり目につく。国会議事堂のすぐ近くの国立博物館では、「ソ連による占領時代」と題した展示が行われていた。中には、銃撃された貨車など、革命や粛正の嵐に巻き込まれたトビリシの歴史が紹介されていた。
現在のロシアとの厳しい関係を象徴する場所もあった。トビリシから少し離れたところに、質素なテント状の家が並ぶ地域があった。「南オセチアからの国内避難民です」。ドライバーの男性が教えてくれた。南オセチアとはグルジア国内の自治州だが、ソ連崩壊直後から独立に向けた動きが活発化し、08年8月にロシアとグルジアの戦争後、ロシアが一方的に独立を承認した。その流れのなかで、多くの避難民が発生した。
「ロシアは、自分たちの好きなようにやるのでしょう。でも私たちには私たちの道があります」。前出の女子学生は、そうも語ってくれた。
冒頭で紹介したとおり、グルジアはワインの名産地だ。実はグルジアはワイン発祥の地といわれ、その歴史は8000年に及ぶ。かのクレオパトラもエジプトに渡ったグルジアワインをこよなく愛し、グルジアワインには「クレオパトラの涙」という別名があるほどだ。カフカス山脈に囲まれ、寒暖の激しい気候はブドウの生産に極めて適しており、グルジアに住む人々の歴史がそのまま、ワイン生産の歴史だといえる。
ロシアとの関係が悪化した際、ロシアが真っ先に輸入を停止したのもワインだった。空港で差し出されたおみやげのワインは、まさにグルジアの「歴史」と「友好の証」そのもの。いつかEUに加盟をしたならば、欧州中の人々にこのワインがさらに飲まれ、愛されるに違いない。(黒川信雄、写真も/SANKEI EXPRESS)