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【「水球女子」中野由美のリオに向かって】亡き恩師が教えたくれた「考える力」
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2012年10月の全日本選手権を、永田研史監督(右から6人目)率いるチームで制した(中野由美さん提供) 「水中の格闘技」とも呼ばれる水球では、体格に恵まれた強豪の欧米に比べ、日本人は戦う上で大きなハンディを背負っています。サッカーやラグビーもそうかもしれませんが、水球も日本が勝つために「プレーの継続」がキーワードになってきます。
1対1での勝負を挑まず、1人が動けば、連動するように他の選手も陣形を変えていく。「みんなが鎖でつながっているように」。日本代表のプレースタイルです。
その基礎をたたき込んでくれた恩師が、2013年8月に59歳で亡くなった永田研史さんでした。私の母校でもある藤村女子高の教諭で、藤村女子高と東京女子体育大で監督を務めていました。第一印象は温厚。いわゆるスパルタ式の指導はありませんでした。ただ、その指導はどんな細かなミスも絶対に見逃さない厳しいものでした。
「何で、そこにパスを出したのか」。意味のないプレーは、練習をストップしてその意図を問われます。「何となく」では見逃してくれません。体格で劣る日本人が世界で勝つには、感性とスピードが不可欠。無駄な一つのパスが攻撃のリズムを止め、相手に守る余裕を与えてしまうのです。「鎖」でつながった7人が共通の意図を持って攻めないといけません。いわゆる「考える水球」。私やほかの代表選手は、高校生のころから、常に「世界で通用するためのプレー」を意識させられてきました。
「考える水球」は、私に考えることの大切さも教えてくれました。
体育の教師として授業で生徒と接しますが、公立高校ではみんながスポーツ好きとは限りません。苦手な生徒もいれば、体を動かすことが嫌いな生徒もいます。
そんな生徒たちが体育の授業から逃げないようにするにはどうすれいいのか。持久走の苦手な生徒がいれば、後方から一緒に走ってペースが落ちそうになるときに声をかけるようにしたりしました。あるとき、女子生徒から「体育は苦手だけど、先生の授業は好きだよ」と言われ、考えて取り組んだかいがあったと本当にうれしく思いました。
練習への取り組み方にも考える力は生きています。学校での業務で多忙な日々が続くと、どうしても練習時間を確保することが難しくなります。限られた時間で何をするか。週に6日、与えられたメニューをこなしていた学生時代よりも集中してトレーニングするように心がけています。
永田先生が膵臓(すいぞう)がんにおかされていることを知ったのは、12年5月ごろでした。その年の1月にロンドン五輪をかけた予選を戦っていたのですが、先生は体の不調を訴えていました。すでに病状はかなり進んでいて、「余命半年」と宣告されていたそうです。その後は病気と闘いながら高校や大学で指導を続けていました。
闘病中もいつも水球のことを考えていたようにみえました。余命宣告に絶望することなく、生きることをあきらめなかった先生は宣告から1年半も生き続けました。
先生から最後の電話をいただいたのは、亡くなる前日の夜でした。13年10月の日本選手権で、私たち社会人と藤村女子高の混合チームを率いる予定でしたが、「それまでもちそうにない」とかすれた声で明かされました。口に水を入れないと話もできない状態だったそうです。
「練習頑張って」。励ましの言葉が電話口の向こうから聞こえてきました。兵庫県から高校進学時に単身上京し、大学卒業後に就職した製薬会社を3カ月で辞めて再び水球に取り組む私をいつも気にかけてくれていました。後日、奥さんから「最後に電話をかけたのが、由美さんだったの」と言われたときは、涙があふれました。
昨年9月のアジア大会では得点王になり、チームの銀メダル獲得に貢献できました。帰国後、墓前に報告に行きました。だけど、先生は生前、「銀メダルは取れる」と話していたので、まだ喜ばすことはできていないかもしれません。
こんなことを書くと、変なふうに思われるかもしれませんが、先生が亡くなってからも大会会場で何となく先生の雰囲気を感じることがあります。私だけではなく、ほかの代表選手も同じようなことを口にします。もし、リオデジャネイロ五輪に出られたら、先生も付いてくるんだろうなと思います。「先生のためにも…」ではなく、先生と一緒に夢に向かってあきらめることなくチャレンジしていきたいです。(水球女子日本代表、東京都立桜町高教員 中野由美/SANKEI EXPRESS)