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【東日本大震災4年】「しっかり前向いて生きる」 宮城県遺族代表、菅原彩加さん

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【東日本大震災4年】「しっかり前向いて生きる」 宮城県遺族代表、菅原彩加さん

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福島県南相馬市で行われた震災犠牲者追悼のキャンドルナイトで、メッセージの書かれたキャンドルを見る子供たち=2015年3月11日午後(早坂洋祐撮影)  東日本大震災は11日、発生から4年を迎えた。岩手、宮城、福島の被災3県をはじめ各地で追悼式や集会が開かれ、地震が起きた午後2時46分に黙祷(もくとう)し、遺族らは2万人を超える犠牲者を悼み、生かされた命で前進することを誓った。天皇、皇后両陛下をお迎えして政府主催の追悼式も東京都内で開かれ、3県の遺族のほか、安倍晋三首相ら約1120人が出席。列島は鎮魂の一日となった。

 政府主催の追悼式では、天皇陛下がお言葉で犠牲者らに哀悼の意を表され、「依然として被災者を取り巻く状況は厳しく、これからも国民皆が心を一つにして寄り添っていくことが大切と思います」と述べられた。

 「震災で失ったものと同じくらいのものを得ていけるように、しっかりと前を向いて生きていきたい」。津波で母、祖母、曽祖母を失った菅原彩加さん(19)は、政府主催の追悼式で宮城県の遺族代表として壇上で誓った。

 母を残して…

 あの日、中学の卒業式を終えて石巻市の自宅にいたところを津波がのみ込んだ。がれきの山に流れ着くと、覆われて動けずにいた母がいた。どけようと頑張っても重くてどうにもならない。第2波が来たら死んでしまう。「行かないで」という母に「大好きだよ」と言い残し、必死に泳いだ。母校の大川小学校で一夜を明かした。

 なぜ自分が生き残ったのだろう。我慢強い性格だから? 繰り返し、考えた。こんなにつらいなら、死んだ方が楽だったと思った。

 伝える役割

 でも次第に、震災を伝える役割があると考えるようになった。昔から作文を書き、人前で話すのが好きだった。同世代の体験談を集めた冊子を作り、講演も始めた。

 中国・四川大地震や、フィリピンの台風被害も学び「日本だけが大変じゃないんだ」と視野が広がった。4年前、消防車が自分を搬送してくれたこと、市街地から遠い避難所なのに食料が届いたこと…。早かった救援に「日本がしっかりした国だから」とあらためて感謝の気持ちが湧いた。

 この日のあいさつには「私と同じような立場で、大変な毎日を送っている子供たちがいると知ってほしい」との思いを込めた。「何人亡くなったという数字よりも、私の体験を話す方が関心を寄せてくれるのでは」。壇上で、文章をゆっくりかみしめながら霊前を見つめた。

 大川小は児童・教職員計84人が死亡、行方不明になり、地区全体が大きな被害を受けた。でもその後、住民が以前より積極的に清掃などの活動をしているのを見ると「みんなすごいな」と感じる。

 一方で、まだ立ち上がれない人も周囲にたくさんいる。「もちろん悲しみは消えないけど、私のあいさつでちょっと頑張ろうかなと思ってくれる人がいたらうれしい」

 希望胸に進学

 来月、慶応大に進学する。子供に関わること、震災を伝えること、国際ボランティア…。笑顔で「したいことがたくさんあります」。亡くなった3人も、そんな自分を見守ってくれると思う。(SANKEI EXPRESS

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