ニュースカテゴリ:EX CONTENTS
スポーツ
【田中大貴アナの「すぽると!」こぼれ話】「欲しいのは優勝」 阪神・鳥谷選手
更新
阪神の沖縄・宜野座キャンプで居残り特守を受ける鳥谷選手。溌剌として表情も明るい=2015年2月18日、沖縄県国頭郡宜野座村(中島信生撮影) 胸の高鳴りを抑え、彼の登場を待ちました。
1月8日。私は大阪へ飛びました。鳥谷敬(とりたに・たかし)選手のインタビューのためです。メジャー移籍を断念して阪神に残留。5年の大型契約を発表する会見の直前に、彼が貴重な時間を割いてくれることになっていました。
海外フリーエージェント(FA)の権利行使から約2カ月。日本シリーズを最後にメディアの前で固く口を閉ざしていた彼が初めてカメラを前に口を開く-。なぜ、メジャーではなく、阪神残留だったのか。その答えを探るため、彼の表情に注目していました。扉が開き、鳥谷選手のすがすがしい表情と笑顔を目にした瞬間、私は「よかった。まだ夢は続いているんだ」とうれしい気持ちになりました。
鳥谷選手といえば、感情の読み取れない表情と落ち着き払ったプレーぶりが独特で、不気味なほどの迫力を感じていました。その彼が見せたあのときの表情は、キャスター人生で初めて目にしたものでもあったのです。終始、穏やかな表情で話す鳥谷選手のインタビュー。心に最も残った言葉は、「大リーグ挑戦を諦めることができて良かったよかった」という表現でした。「諦める」に続いたのは「悔しい」や「残念」ではなく「良かった」という言葉でした。残留発表時に球団を通して出したコメントにあった「熟考に熟考を重ねた結果…」は、悲観的な選択ではなかったと確信できました。
13年前の神宮球場。早大の背番号1番が放った鮮やかなアーチが超満員の右翼席へ吸い込まれていったのを今も鮮明に覚えています。優勝の掛かった伝統の早慶戦。試合を決定づける圧巻の一発でした。湧き上がる学生たちの大声援を背に、一塁を守る私の前を、表情を全く変えることもなく通り過ぎ、淡々とダイヤモンドを一周。まるで感情がないようにも思える孤高の人。これが、1学年下の「鳥谷敬」というアスリートへの印象でした。「感情、そして表情がない」という表現は、どんな大きな舞台であろうと決してひるまないたくましき精神力を表す言葉なのかもしれません。
技術だけでなく、精神力な強さも大学時代にすでに完成されていました。阪神入団後はスター街道を突き進みました。2年目にリーグ優勝を経験。その後も中軸を担う打撃だけでなく、守備でも難しい局面で球際の強さを発揮しました。
象徴するシーンが一昨年の第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)2次ラウンドでの台湾戦です。日本代表「侍ジャパン」が1点を追う九回2死の土壇場で決めた二盗。同点に結びつける値千金のプレーが、その後の逆転劇を呼び込んだのです。
球史に残るワンプレーは、見ている側でさえ緊張する、怖いくらいの場面。それを表情ひとつ変えずにやってのける現役最強の精神力こそが鳥谷選手の真骨頂でしょう。
2014年オフのメジャー移籍は、“既定路線”とさえ言われていました。メジャーでプレーすることは、彼が学生時代から憧れ続けていた夢でもあったからです。
「極秘渡米」「代理人との接触」。押しも押されもせぬ猛虎のキャプテンだけに、メディアの関心もとても高かったです。
その中でも、彼は冷静さを失っていませんでした。自分の気持ちに語りかけ、自らの肉体と相談し、大きな決断を下しました。それが、「もう1つの夢を追う」ための阪神残留だったのです。
その夢は言うまでもありません。「阪神で優勝する」ことでした。生え抜きとして阪神を優勝に導くことと、メジャー挑戦という2つの夢に挟まれ、葛藤していた彼が最終的に選んだ結論でした。
そして、インタビューで見せたすがすがしい表情は、プロとしての2つの夢を1つに絞ることができたからこそのものだったのでしょう。
彼は言いました。「もう個人的なことは考えない。阪神でいま、何が欲しいのかを考えたとき、やはり優勝の二文字しかない」。力強く答える表情は、かつて表情がないようにも思えた鳥谷選手と同じ人物には思えませんでした。
球春が到来した2月。沖縄・宜野湾で始まった阪神の春季キャンプに足を運びました。高代延博(たかしろ・のぶひろ)内野守備走塁コーチは「キャンプで、最もチームを盛り上げているのは鳥谷だ」と絶賛していました。孤高の男が、チーム全体を見渡すようになったとき、その表情は実に豊かなものになっていたのです。グラウンドを全力で駆け回る姿を目にし、新たな「ミスタータイガース」誕生の予感がしました。33歳。鳥谷選手の夢が、超満員の甲子園で結実するが待ち遠しくなりました。(フジテレビアナウンサー 田中大貴(だいき)/SANKEI EXPRESS)