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【田中大貴アナの「すぽると!」こぼれ話】「変わらずに居続ける」巨人・高橋由伸選手
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巨人の宮崎キャンプを訪れた松井秀喜氏(左)と談笑する高橋由伸(よしのぶ)兼任コーチ=2015年2月3日、宮崎県宮崎市のKIRISHIMAヤマザクラ宮崎県総合運動公園(大橋純人撮影) 日本シリーズ出場を逃したこのオフ、巨人の背番号24は、春には40歳になる身体を入念にストレッチすると、20代のころと変わらぬまなざしでグランドに降りていきました。
高橋由伸(よしのぶ)選手は、プロヘの道の原点ともいえる慶応大学のグランドで年末も休まず身体を動かし、2月のキャンプインに備えていたのです。巨人では現役最年長になり、新たに兼任コーチの肩書もつきました。その姿を見て、ふと考えました。酷使してきた身体。そして立場の変化…。2015年を高橋由伸というプレーヤーは、どんなシーズンにするのだろうか。
私自身、高橋選手に憧れ、慶応大野球部の門をたたいた一人です。初めて挨拶をしてから16年。そして、野球部では、選手として、卒業後はキャスターとして由伸先輩の背中を見つめ続けてきました。
プレーヤー、高橋由伸の屋台骨を支えているのは、「練習をする」というシンプルな考えです。“天才”のイメージが強いかもしれませんが、食事に連れて行ってもらうと、「自分は練習しないと生き残れない」という言葉を10年以上前から何度も口にするのを聞いてきました。
オフの練習では、若手に混じって汗を流し、打球の飛距離も、バットを振り込む量も誰に劣ることなく、ひたむきな姿を見せてくれます。定位置だった右翼以外のポジションを守ることが多くなった近年、巨人の大西崇之(たかゆき)コーチが現役時代に使っていたグラブのモデルを参考にし、左翼方向への強く速い打球にも対応できるよう、捕球する面を深くしたタイプに替え、必死にノックの打球を追っていました。
プロ18年目を迎え、今季から兼任する打撃コーチ。チーム状態に最も大きな影響を与えるともいわれる重要なポストです。
プロ入りしてから度重なるけがや、松井秀喜さんの大リーグ移籍、若手の台頭などで、チーム内での立場は年とともに変わっていきましたが、今回は役職が付くという目に見てわかる大きな変化です。
「将来の幹部候補」と目されるスーパースター。年齢的にも肉体的にも先を考える時期に入っているのは、周辺だけでなく、自らも認識していました。一昨年、小久保裕紀監督率いる新生「侍ジャパン」の船出となった台湾遠征に中継の解説者として帯同。そのとき、「将来のための勉強」と明かす姿を見て、引退、その後の指導者への道を意識していることが分かりました。
毎年、彼を慕う多くの若手らとともに沖縄の那覇で行っている1月の自主トレ。私は昨年11月下旬にお会いした際、「那覇にはいつごろ入るんですか」と聞くと、「実は正直、悩んでいる。コーチという役職が付いた立場。若手たちも気を遣うだろうから1人でやるかもしれない」という答えが返ってきました。そのときの目がとても印象的でした。普段は決して表に出さない心の葛藤を見た思いがしました。コーチという重要なポストを悩んだ末に引き受け、その状況とどう向き合っているかが伝わってきました。あくまで私の直感ですが、近い将来、伝統の巨人軍で指揮を執る覚悟さえもあるように思えました。
キャスターとして接するとき、「高橋由伸」はとても難しい存在です。たとえば、「変化」をテーマに特集を組もうとしても、由伸さんは「変わらないこと」「変わらずに居続けること」を信条としているからです。実際、年齢を重ねた以外に、変化した部分はほとんど感じません。
聞けば、入団時の監督でもある長嶋茂雄さん、先輩である松井秀喜さんの背中を見てきたからだと言います。「どんな状況でも、どんなに周囲の環境が変わろうとも、変わらない自分でいること」。2人を見ていて、この思いをさらに強く感じたそうです。
悩んだ末に向かった那覇で、由伸さんは若手とともに例年と同じように身体を追い込んでいました。表情もスタイルも何も変わることはなく…。
実は、同級生で誕生日も同じという上原浩治投手から、由伸さんが30代半ばのとき、引退を真剣に考えていたという話を聞いたことがあります。車に乗ることすら困難なほどの腰痛に悩まされていた時期でした。しかし、その苦しみから逃げず、「変わらずに居続けるたくましき魂」で克服したから、由伸さんの現在があるのでしょう。
「今年もレギュラーを獲りに行く」と意欲を見せる現役・高橋由伸選手に大声援を送りたいです。背番号24にしか放つことのできない、あの美しい放物線を描くホームランをいつまでも見たいから。(フジテレビアナウンサー 田中大貴(だいき)/SANKEI EXPRESS)