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【佐藤優の地球を斬る】日本を闇討ちにしたスターリン
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北方領土返還要求全国大会であいさつをする安倍晋三(しんぞう)首相=2015年2月7日、東京都千代田区・日比谷公会堂(宮崎裕士撮影) 今年は、戦後70年の節目の年だ。あの戦争について論じる場合、ソ連との戦争と、それ以外を同列に置くことはできない。ソ連は、当時有効であった日ソ中立条約を侵犯して、日本に戦争を仕掛けた。そして、満州や朝鮮半島北部から60万人を超える日本人を拉致し、酷寒のシベリア、灼熱(しゃくねつ)の中央アジアで強制労働に就かせた。そのうち、6万人以上の同胞が命を失った。また、国際法によって、合法的に日本領となった千島列島(エルップ島からシュムシュ島までの18島)と南樺太を占領し、ロシア領に併合してしまった。このこと自体が領土不拡大の原則に違反する。
外務省ホームページには、<1941年8月、米英両首脳は、第二次世界大戦における連合国側の指導原則ともいうべき大西洋憲章に署名し、戦争によって領土の拡張は求めない方針を明らかにしました(ソ連は同年9月にこの憲章へ参加を表明)。また、1943年のカイロ宣言は、この憲章の方針を確認しつつ、「暴力及び貪欲により日本国が略取した」地域等から日本は追い出されなければならないと宣言しました>と記されている。
51年のサンフランシスコ平和条約2条c項で、日本は、南樺太と千島列島を放棄した。それは、連合国が南樺太と千島列島を<「暴力及び貪欲により日本国が略取した」地域等>と認定したからだ。しかし、これは無理筋の理屈だ。
1855年の日露通好条約で、ロシアと日本の国境線は、択捉島とウルップ島の間に引かれ、樺太(サハリン)島は、従来通り、日露混住の地とした。75年の千島・樺太交換条約で、日本は樺太島に対する主権を放棄する代償として、千島列島を得た。さらに日露戦争に勝利した日本は1905年のポーツマス平和条約で、ロシアから北緯50度以南の樺太島を譲り受けた。これらの経緯は、すべて日露両国の合意に基づいてなされたものだ。「固有の領土」ということならば、歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島の北方四島だけでなく、千島列島、南樺太も含まれるべきだ。
しかし、あの戦争で日本が敗れたのは厳粛な事実だ。戦後秩序の基本ルールを定めた条約の一つがサンフランシスコ平和条約だ。そこで、日本が千島列島と南樺太を放棄し、その条件で国際社会に復帰したのであるから、歴史的に不当であっても、その条件は守らなくてはならない。しかし、ソ連軍に占領されるまで、ソ連領にも帝政ロシア領にもなったことがない北方四島をロシアが現在も法的根拠なく占拠している状況は、是正しなくてはならない。
あの戦争において、スターリンのソ連がいかに卑劣であったかについて重要な事実を記した政府の答弁書が閣議で決定された。3月26日、民主党の鈴木貴子衆議院議員が、<「ソ連の対日宣戦布告」に対する駐旧ソ連特命全権大使佐藤尚武氏の公電は日本政府に届いているか>とただす質問主意書を提出した。
これに対して、4月7日、政府は閣議で、<お尋ねの「公電」については、戦時下のことであるから、確定的にお答えすることは困難であるが、昭和四十一年三月に外務省欧亜局東欧課が作成した「戦時日ソ交渉史(自昭和十六年至昭和二十年)」においては、「本件電報は遂に到着しなかつた。」としている>との安倍晋三首相名の答弁書を決定した。
閣議決定を経た答弁書は、日本政府の立場を拘束する。ソ連による日本政府への宣戦布告を伝える公電が、ソ連当局による電報封鎖で外務本省に到着していないのであるから、日本はソ連に不意打ちされたことになる。日本の対米宣戦布告が遅れ、真珠湾攻撃後になされたことで、日本は闇討ちをする卑怯(ひきょう)な国であるという非難がなされた。これは日本外交の汚点となっている。ソ連による闇討ち問題を日本外務省はなぜきちんと国民に説明しないのか。理解に苦しむ。(作家、元外務省主任分析官 佐藤優(まさる)/SANKEI EXPRESS)