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ネパール地震1カ月 「早く復興を」 迫る雨期に不安も
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5月25日、倒壊した歴史的建造物、ダラハラ・タワーの周りで手をつなぎ、ネパールの復興を祈る若者ら=2015年、ネパール・首都カトマンズ(岩田智雄撮影) 近隣国を含めて8700人以上が犠牲になったネパールの大地震から25日で1カ月となり、市民らが国内各地で死者を悼んだ。
大地震で倒壊した首都カトマンズ市内の歴史的建造物、ダラハラ・タワー前では、若者らで作る新小政党「知的ネパール」の支持者数百人が、1カ月前に大地震が発生した正午前(日本時間午後3時過ぎ)に黙祷(もくとう)し、「ネパールの再建を助けよう」と誓い合った。
警備員の男性(22)は、「3年前からここで働いている。実家から、危ないから故郷へ帰れといわれているが、このタワーが好きだから帰らない。1日も早く復興を」と話した。
家屋約77万棟が全・半壊し、雨期が間近に迫り、約810万人の被災者には水害の懸念も広がる。ネパールのマハト財務相は25日、支援国会合が「6月25日に開催されることで仮決定された」と説明した。日本や欧米など国際社会は一体となって復興の後押しを加速させる意向でおり、国連や各国との最終調整が進んでいるとみられる。会合に間に合わせるため、ネパール政府は被害調査を6月中旬をめどに終えたい意向だ。開催地は首都カトマンズが有力視されている。8月以降、2回目の会合を開催する方向で、日本政府の共催も検討されている。
カトマンズは半数以上の商店や飲食店が再開、電気や通信などインフラの一部も回復した。ただ、空き地では被災者らのテントが並ぶ。6月からのモンスーンによる雨期に備え、トタン製の仮設シェルターが増えているが、粗末なテントも多い。
また、ネパール国民の約8割が地方の山間部に暮らしており、北東部シンドパルチョークや中部ラスワ地区などでは、土砂崩れや雪崩で壊滅した集落も少なくない。住民の帰還や移住先など新たな問題も起きている。(カトマンズ 岩田智雄/SANKEI EXPRESS)
≪奇跡の生還少年 「救出は贈り物」「将来は何もない」≫
ネパール大地震で、首都カトマンズの倒壊したホテルの下から、発生5日後に「奇跡の生還」を果たした15歳の少年がいる。ペンバ・タマンさん。地震から1カ月、救出されたことに感謝しつつも、働き口を失い、被災と貧困という二重の苦しみの日々を送っている。
「外はまぶしく何も見えなかった。とても幸せだった。体中が痛かったが、泣かなかった」。24日、小柄な少年が、とつとつと語った。けがは回復していたが、ほとんど笑わず声に力はない。
タクシー運転手の家庭で生まれた。10歳で隣国インドの飲食店に1年働きに出され、母親は中東クウェートへ出稼ぎに。ばらばらの家族だった。カトマンズを転々とし、ゴンゴブ地区でホテルの客引きになり、住み込みで多い時は1日500ネパールルピー(約600円)ほどの稼ぎだった。
大地震の発生時は、7階建てホテルの2階で食事中。壁が崩れ、暗闇に閉じ込められた。手探りで見つけたバターを食べ、ぬれた布を口に含んだ。意識がもうろうとしたまま時間が過ぎるうち「心配しないで。助ける」と呼び掛ける声がした。救助活動中のネパールの警官だった。
仲が良かった従業員仲間6人は、いずれも安否が分からない。チベット仏教の宗教画をつくる姉(18)のもとに身を寄せているが「独立して家から出たい」と言う。
救出後は、一日中いすに座って通りを眺めるなど、何もすることがない日々が続く。「眠れるし、食欲もある」が、地震の恐怖は続いている。母親からは最近、「これからは安全な場所にいて」と国際電話があった。
救出は「(人生の)贈り物だった」と振り返るが、職を失った現実がのしかかる。「これからどうしていいか分からない」。将来の夢も「何もない」と付け加えた。(共同/SANKEI EXPRESS)