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やりたいこと 言葉にして「実現」 俳優 桐山漣さんインタビュー
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俳優、桐山漣(れん)さん=2015年5月26日(高橋天地撮影) □映画「群青色の、とおり道」
全国のチビっ子たちにとっては、「仮面ライダーW(ダブル)」といえばすぐ顔が浮かぶだろう。正義のヒーローを演じ、子供たちに兄のように慣れ親しまれてきた、桐山漣(30)も今年2月で而立(じりつ)を迎え、俳優としては新たな可能性を模索している。そんな意欲の表れの一つが、主演の青春映画「群青色の、とおり道」(佐々部清監督、東京・ユーロスペースほかで公開中)だ。
役どころは、厳格な父親の反対を押し切り、家出同然で東京へ飛び出したミュージシャンを夢見る青年だ。訳あって10年ぶりに故郷、群馬県太田市へ里帰りした青年は、幼なじみに温かく迎えられ、市内尾島地区の8月の風物詩「尾島ねぷたまつり」の準備に励む地元の人々の心意気に触れながら、自分があるべき姿を改めて見つめ直す。
「僕自身も役者になる前、10代の頃はミュージシャンになりたくて、バンドを結成して自分たちで曲を作って演奏していたんですよ。ベースを担当していました。父親が厳しく、母親が優しいといった主人公の家族の雰囲気も僕のケースと似ていました。だから、脚本を読んでいたとき、主人公が一人で抱え込んでいたモヤモヤとした気持ちがすごく分かったんですよね。この映画は演じていて何度も心にグッときた作品でした」
《東京で音楽活動を続けていた真山佳幸(桐山)のもとへ、絶縁状態にあった父親の年男(升毅)から突然、連絡が入った。体調が思わしくない入院中の年男は病室へ佳幸、母の明子(宮崎美子)、高校生になった妹の幸恵(安田聖愛(せいあ))を呼び、重大な決意を明かす》
桐山自身も佳幸のように、ミュージシャンを目指すことに否定的な父親に強く反発していたという。「僕の父も年男みたいに『音楽なんてやって、一体どうするんだ?』と、決めてかかってくるところがありました。でも、子供の側からすれば『なぜまだ何もやってないのに頭からだめだって決めつけるの?』という思いもありました。僕はミュージシャンになりたかったし、そもそも何か芸というものに携わることで飯を食っていきたい-という気持ちが強かったんです」。父親が反対すればするほど、桐山が夢へ突き進もうする気持ちはいっそう駆り立てられた。
誰も彼もがなりたい自分になれるわけではなく、どこかで必ず夢と折り合いをつけなければならない。桐山の場合、転機は20歳を少し過ぎた頃だった。中学3年で初めてギターを手にし、高校1年でバンドを結成、プロになろうと果敢にオーディションに挑んできた桐山だったが、5年が過ぎても活動がいまいち形になってこない。ふと「自分はバンドには向いていないのではないか」と確信し、ピンで勝負したくなった。そこで、メンバーの1人が脱退したとき、自分も「新しいことをやってみよう」と追随した。
上手に夢と折り合いを付けるには、最後に自分が「もう十分に頑張ったじゃないか」と納得できるかどうかが最大のポイントだ-。桐山は強く思う。そんな心境になれるようにするためにも、「『こういう仕事に就きたい』『映画やテレビに出演したい』と口に出したうえで、具体的に行動に移すことが大事になってくる。僕は言霊の力って信じています。実際、そのようにして今の仕事につながってきましたからね」。
ひとりになって、次に目指したのは俳優だった。「あこがれの職業の一つではありました。ミュージシャンと俳優-ジャンルがまったく違っても、人前に立って自己表現できる喜びは変わらないはずです。修業を積んで24、5歳になってから俳優に挑戦しても、それでは遅い気がした。まずはオーディションを受けることにしたのです」。桐山が応募したのは、子供の頃からあこがれの存在だった仮面ライダーの主人公だった。
審査の結果、桐山は並み居るライバルたちを押しのけ、晴れて「仮面ライダーW」に“変身”することとなった。審査員は、応募者の中で桐山が一番、仮面ライダーになりたいという強い気持ちを持っていたと評価したそうだ。「仮面ライダーになることは『役者をやってみよう』と決めたときに、自分で定めた一番最初の夢であり、目標でしたから、僕は『絶対にやりたい』と自分に言い聞かせ、言葉にも発していました。だからこそ『仮面ライダーW』になれたのだと考えています」。
今年は「群青色の、とおり道」を含めて3本の映画に出演し、テレビ時代劇にも初めて挑戦した。次に桐山が口にする夢は何だろう。(高橋天地(たかくに)、写真も/SANKEI EXPRESS)