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社会
平和への思い 次世代に継承 「原爆の日」70年 小6、世界に呼び掛け
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平和記念式典で原爆死没者名簿を奉納する松井一実・広島市長ら=2015年8月6日、広島県広島市中区中島町の平和記念公園(甘利慈撮影) 被爆から70年を迎えた「原爆の日」の6日、広島市中区の平和記念公園では「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が営まれ、約5万5000人(市発表)が犠牲者の冥福を祈った。松井一実市長が平和宣言を読み上げた。
式典は炎天下で営まれ、被爆者や遺族代表、安倍晋三首相のほか、核保有国の米、英、仏、露など過去最多の100カ国と欧州連合(EU)の代表が参列した。
松井市長と遺族代表が、この1年間に死亡が確認された被爆者5359人分の原爆死没者名簿を新たに原爆慰霊碑に奉納。名簿は計29万7684人となった。原爆投下時刻の午前8時15分、遺族代表らが「平和の鐘」を打ち鳴らし、参列者全員で黙祷(もくとう)した。
平和宣言で松井市長は、被爆者の平均年齢が初めて80歳を超えたことに触れ、被爆体験の次世代への継承と核兵器廃絶への決意を表明した。
そして、来年の伊勢志摩サミットやそれに先立つ広島での外相会合を「核兵器廃絶に向けたメッセージを発信する絶好の機会」と被爆地訪問を呼び掛けた。
安倍首相は「『核兵器のない世界』の実現に向けて、一層の努力を積み重ねていく決意だ。今年秋の国連総会では新たな核兵器廃絶決議案を提出する」と強調した。
首相挨拶に先立ち、「平和への誓い」を宣言した広島市立白島小6年、桑原悠露君(12)=広島市中区=は、「祖母が体験したつらさを胸に、今ある平和の大切さを伝えたい」と話した。
学校で4月、平和についての作文を書く宿題が出され、初めて祖母(72)の被爆体験を聞いた。祖母は2歳の時に広島市の自宅で被爆。爆風で割れたガラスの破片が手に刺さり、今も痕が残る。当時の記憶はないが、祖父と結婚する際、差別を恐れた家族から、被爆者であることを隠すよう言われたという。悲しそうに語った祖母の顔が忘れられない。
代表に選ばれ、祖母は励ましの手紙をくれたが「私のせいで被爆3世にしてしまってごめんね」と書かれていた。桑原君は「おばあちゃんはそれだけつらい思いをしたんだ」と改めて思った。
学校の平和学習で、熱線で皮膚が焼けただれた写真を見たり、被爆者の証言を聞いたりした。今ある「当たり前の平和」な生活に感謝することの大切さを感じ、核兵器のない世界へとつなげていくため、宣言で世界に呼び掛けた。
一方、平和宣言に体験談が引用された広島市の河内政子さん(86)。当時16歳の高等女学校4年生だった河内さんは、爆心地から約2キロの祖母宅で被爆した。その日は学徒動員が休みで「自宅が空襲に遭ったら一家全滅だから」と前夜のうちに1人、祖母宅に行かされていた。
3日後、爆心地近くの自宅に行くと、父は玄関で、2歳上の姉は台所で白骨となっていた。炊事場には上半身が黒こげで、下半身が白骨となった母の姿があった。
25歳のころ、教師として働いていた小学校で、楽しそうに戦争ごっこをして遊ぶ子どもたちを見た。本当の戦争を知ってもらいたいと、封印していた体験を話すようになった。
「殺さなければ殺される。戦争は人間の生きる道ではない」。原爆で死んでいった人の無念な思いを平和につなげたいと、語り続けている。(SANKEI EXPRESS)