本音で、戦争と敗戦と戦後を綴った日記 戦中派「山田風太郎」の不戦・焼け跡・闇市・動乱日記 松岡正剛
更新ぼくが山田風太郎を摘まみ読みしていたのは、70年代半ばから80年代にかけてのことで、最初は『警視庁草紙』や『幻燈辻馬車』といった帝都エキゾチシズムが匂ってくるものがおもしろく、そのあとが忍法帖シリーズだった。「くの一」は読んでない。あるとき『戦中派不戦日記』を手にとって、この人の何ともいえない恬淡と、隠しだてのない日本人主義にぐぐっときた。それからはくまなく読むようになった。
戦中派日記は、昭和17年11月に書き始めた『戦中派虫けら日記』に始まって、昭和27年12月の『戦中派復興日記』で中断している。本音ばかりを綴った日録で、本にして6冊に及ぶ。20歳の医学生が戦争日本の渦中でいったい何を感じていたかということから、敗戦後に復興が続いてもいっこうに気分も慰められない心境まで、その見聞と感想をありのままに吐露されている。
兵庫の間宮村の医者の家に生まれた風太郎は、旧制高校に不合格、徴兵検査にも不合格で、上京して沖電気の軍需工場で働きながら医学受験に励んでいた。軍国青年にとって日米戦争はどうしても勝ち続けてほしかった戦争だったが、日一日ずつその期待が裏切られ、歪み、崩れ落ちていく。不戦者の風太郎は、自身の魂と理想の内側で闘った。疎開先の飯田でしだいに虚無に苛まれ、8月に入っては戦争継続を訴えていた。しかし敗戦の日は「帝国ツイニ敵ニ屈ス」としか綴れなかった。

