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東京裁判が日本人を追いこんできた問題 赤坂真理の『東京プリズン』が示した脱出方法 松岡正剛

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東京裁判が日本人を追いこんできた問題 赤坂真理の『東京プリズン』が示した脱出方法 松岡正剛

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【BOOKWARE】編集工学研究所所長、イシス編集学校校長の松岡正剛さん=9月14日、東京都千代田区の「丸善丸の内店内の松丸本舗」(大山実撮影)  【BOOKWARE】

 赤坂真理(まり)の『東京プリズン』は、留学先のアメリカの高校での戦争責任をめぐるディベートで「天皇に責任がある」側に役割を振られたマリを主人公にした小説である。

 16歳の少女が英語で東京裁判や日本国憲法を読み解いていくという、一種の暗号解読的な仕立てにもなっているのだが、天皇の戦争責任をめぐるタブーをみごとに浮き彫りにした。こんな方法で東京裁判を考えた者は、これまで一人もいなかった。

 日本人は、一度は東京裁判に向き合わなければならないという気持ちを、どこかにもっている。ところが、この向き合いにはそうとうな負荷がかかる。ぼくは、小林正樹のドキュメンタリー『東京裁判』を6回は見ているが、見るたびに慟哭と憤懣と哀感と、そして責念のようなものが体に滲んできた。では、それらの正体が何なのかというと、それがなかなか掴めなかったのだ。

 東京裁判は戦争犯罪を裁いただけではなかった。「平和に対する罪」「人道に対する罪」という新たな犯罪名が加わった。人類全体がかかえるような罪状である。しかし、その大罪で27名が起訴され、死没の永野修身(ながの・おさみ)と精神鑑定を受けた大川周明(しゅうめい)を除く25名全員が有罪となり、7名が絞首刑になった。開廷の劈頭(へきとう)で弁護団副団長の清瀬一郎が「連合国には、この二つの罪で被告たちを裁く権利はない」と強調した。その凛とした声の響きの中に、いまも日本人の多くが佇んでいるはずだ。

 真珠湾攻撃から原爆投下まで、満州事変からGHQの日本占領まで、明治憲法から戦後憲法まで、東京裁判には考えなければならないことが、ヤマほどもある。そこにはポツダム宣言の意味、ナチスの戦争についての見方、日本陸軍部の異様な体質、八紘一宇(はっこういちう)の政治思想、昭和の大衆社会とメディアの煽情力、アメリカの原爆投下の罪状、天皇の戦争責任、講和条約と安保条約、A級戦犯を合祀した靖国問題のことなどの難問も、みんな入ってくる。

 この負荷は尋常ではない。何か心情的なものをそこで昇華していかないかぎり、あまりに息苦しくて、東京裁判がもたらした問題の全貌を見渡すことなんてできないし、そこに大きな課題を浮上させていくことも、難しい。とはいえそういう準備を怠ると、いわゆる「東京裁判史観」に陥って、かえってトラウマにとらわれてしまうことになる。

 そういう事情のなかで、赤坂の『東京プリズン』は、この名状しがたい多重のディレンマを撥ねのけて、日本人が追いやられてきた陥穽(かんせい)から、みごとに跳躍してみせたのである。脱帽だった。できれば諸君も東京裁判の一部始終に通暁したうえで、『東京プリズン』を読んでみてほしい。(http://1000ya.isis.ne.jp/

 ■まつおか・せいごう 編集工学研究所所長・イシス編集学校校長。『東京プリズン』の赤坂真理さんとは、2015年NHK-Eテレ正月特番「100分de名著」で共演した。『死者の書』や『「いき」の構造』をめぐって日本人論を語った。内容は4月刊行『「日本人」とは何者か?』にまとめられた。「松岡正剛千夜千冊」

 【KEY BOOK】「東京裁判」上下(児島襄著/中公新書、778円、756円)

 東京裁判の一部始終を集約して知るための定番の本。しかし東京裁判の問題が見えてくるには、上にも書いたように多くの関連事態を見ていくしかない。それには同じ著者の『満州帝国』『太平洋戦争』などとともに読むと、記述の平仄が合って理解が早くなる。もっとも本書は児島の本にしては、被告たちの家族との会話がいろいろ挿入されいて、仄かな人情が伝わってくる。平塚柾緒『図説東京裁判』なども併読して視覚的な確認もしてほしい。

 【KEY BOOK】「東京裁判」(アーノルド・C・ブラックマン著、日暮吉延訳/時事通信社、4104円、在庫なし)

 アメリカのジャーナリストが東京裁判の法廷で発言した例は稀だった。ブラックマンはその一人。裁判をする側からの観察と取材にもとづいていて、参考になるところが少なくなかった。東京裁判は歴史的な「司法の試練」でもあった。本書からは連合国混成チームの自信と狼狽と熟慮とがよく見えてくる。日本側の裁判記なら、やはり清瀬一郎の『秘録東京裁判』に目を通したい。

 【KEY BOOK】「落日燃ゆ」(城山三郎著/新潮文庫、767円)

 東京裁判で絞首刑になった7人のA級戦犯のうちで、広田弘毅はただ一人の文官だった。だから広田の処刑には日本中が驚いたのだが、広田はいっさい抗弁をしなかった。その広田の無骨だが信念に満ちた生涯を、城山が過不足なく描いた。たいへん抑制的な文章なのだが、どの行間からも「無念」が染み出ている傑作だ。ただ広田が頭山満の玄洋社で培った日本ナショナリズムの国策感覚のようなものも、できればもっと描いてほしかった。

 【KEY BOOK】「東京プリズン」(赤坂真理著/河出書房新社、1944円)

 こういうふうに、東京裁判と日本国憲法と日米関係の裏腹な構築感覚を、「天皇の戦争責任」を通して描いた小説はなかった。アメリカの高校でディベートをさせられているというカウンターフィルターが効いている。われわれは、英語的な天皇像や翻訳倒語的な日本国憲法というものを、ちゃんと見てこなかったのかもしれない。赤坂真理はその「虚」を周到に突いたのだが、案外それこそが「実」だったのだ。『愛と暴力の戦後とその後』も読みごたえがある。(編集工学研究所所長・イシス編集学校校長 松岡正剛/SANKEI EXPRESS

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