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メタモルフォーズする天下の俳優たち 世界を魔法にかけたレイコ・クルックの変身術 松岡正剛
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【BOOKWARE】編集工学研究所所長、イシス編集学校校長の松岡正剛さん=9月14日、東京都千代田区の「丸善丸の内店内の松丸本舗」(大山実撮影)
『ば化粧師』とは凄いタイトルだが、フランスで長らく映画や舞台の変身メーキャップを独自に開発してきたトップアーティストのレイコ・クルックのことだ。その波乱の半生記と大胆かつ細心の仕事ぶりを綴ったのが『ば化粧師』である。
レイコの得意技は、特殊メーキャップともスーパーメイキングとも、スキンアートともメタモルアートともいうべきものだが、本人は「変身師」とか「化け粧師」と呼ばれたいらしい。なにしろ怪優クラウス・キンスキーをノスフェラトゥやバンパイアに一変も三変もさせ、天才ヴェルナー・ヘルツォーク監督を感服させた凄腕なのだ。
できればその全貌は、先頃亡くなった岩佐壽彌の異色ドキュメンタリー『いっちょんわからんやろ 変身の魔術師・麗子クルック』(2013)や、レイコ自身がヨアンナ・シューベルトをして20代・30代・50代・80代にみごとに変身させながら撮ったアートフィルム『炎』(1995)などを見てもらいたいが、むろん本書でも十分に伝わってくる。
レイコは長崎の諌早で生まれた。原爆には距離があったものの、その体験はずっと体から離れない。3年前にその思いを創作『赤とんぼ』(長崎文献社)に綴った。赤裸々で、かつ清々しい。
少女期はミッションスクールにいた。長崎放送でCM制作をしたのち、大阪のピアス化粧品で仕事をしながら劇団「黒」の挑発的な活動に首を突っ込み、数々のアバンギャルドな表現体験をした。その後、建築家のモーリス・クルックと結婚すると、長いパリ時代が始まった。
けれどもフツーの生活なんてできるわけがない。レイコは若いドミニック・コラダンと組んでメークアップスタジオ「メタモルフォーズ」を開設し、いよいよショービジネスの世界に名乗りをあげた。レイコの腕と指はたちまち魔法を発揮した。
ヘルツォークもキンスキーも、クロード・ルルーシュの『愛と哀しみのボレロ』で老けたロベール・オッセンも、日本映画で初めて組んだ平山秀幸も、ソフィア・ローレンもジャンヌ・モローも、ミュウ=ミュウも原田美枝子も、アヴィニヨンで『スサノオ』を公演した勅使河原宏・観世栄夫・野村萬斎も、誰もかもがレイコの過激な魔法に酔いしれた。ぼくが実際に現場を見たのは、小沢征爾が指揮をしたジュリー・テイモア演出『オイディプス王』だったのだが、このときのワダ・エミとの技のコラボレーションは圧巻だった。
特殊メーキャップには二つの方法がある。ひとつは、目と口のみを残して顔の大半を覆うヘッドマスクをかぶせてしまうもので、これは土台の人物の個性があまり関係しない。もうひとつは、演技者の容姿を基本において、人工皮膚によって必要なキャラクタライズをしていく方法で、俳優たちの個性や資質を損なわないようにする。むろんレイコの得意なのは後者である。だからこそ「変身術」なのだ。そのためレイコはスポンジではメーキャップをしない。必ず指でその人物の皮膚をつくっていく。そんな自分の指には「ちっちゃい脳」が微妙に動いているのだという。
ぼくはパリでレイコを知った。『平家物語』の講演をしたあとの交歓会で、声を掛けられた。話してみると、めっぽう深い。この人があの『パガニーニ』の戦慄すべき死体をつくったのかと感心した。世界と日本を本気で跨いでいることも、鮮明に伝わってきた。すぐに意気投合した。ぼくの東京でのパーティにも来てくれた。このときはワダ・エミと石岡瑛子が一緒になったので、3人が静かな火花を散らしているのを感じたものだ。
『ば化粧師』はとてもめずらしい本である。レイコ・クルックにしかつくれない。ぜひとも手にとって、この美しくも過激な魔法の一部始終を覗いてほしい。きっと「人間がもつ内側からの尊厳」や「日本人の誇り」が横溢していることに気が付くにちがいない。(編集工学研究所所長・イシス編集学校校長 松岡正剛/SANKEI EXPRESS)