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地図は「想像力の装置」だった 世界は「地図」と「地図にならないもの」とで出来ている 松岡正剛
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【BOOKWARE】編集工学研究所所長、イシス編集学校校長の松岡正剛さん=9月14日、東京都千代田区の「丸善丸の内店内の松丸本舗」(大山実撮影)
寺田寅彦に「地図をながめて」という随筆がある。いまどき安いものを列挙するとしたら、その筆頭にあげられるのは陸軍測量部の1枚13銭の5万分の1の地図だろう。だが、その1枚から学びうる知識は「とうてい金銭に換算できないほど貴重である」という主旨だ。寅彦はさらに、珈琲代で得られる地図の情報と知識をどのように読めるようにしておくかが、これからのインテリジェントの要訣になるだろうとも綴った。
地図には精密なものもあるが、母親から「このお店でこれこれを買ってきてね」と言われて渡される簡単な略図のようなものまで、いろいろある。地球の全体を示そうとした世界図、近所の商店街の地図、河川図、ロードマップ、気象や地質をあらわす地理学的な地図、人口や信仰や交易量をあらわすさまざまな分布図、間取り図、軍事的戦略図…すべて地図である。すでに古代バビロニアに粘土に彫った世界図があり、古代中国に世界の果てばかりを示した山海経(せんがいきょう)があった。
いまや時代はGPSによるナビ地図やグーグルマップが万能になっている。しかし地図というもの、そこに「何を読みとるか」が真骨頂で、それによって何を判断したり推理したり行動するかが引き出されてくるものなのだ。
井上ひさしの『四千万歩の男』は、56歳から72歳まで10次にわたって日本全国を測量しつづけた伊能忠敬の生涯をダイナミックにも愉快にも描いた小説だが、そこに「一身にして二生を得る」という忠敬の信念が何度も出てくる。
まさに、そうなのだ。地図とは、そこから何回でもどのようにでも「別の生涯」と「未知の世界観」を導き出せる比類ない想像力の装置でもあったのである。
地図の歴史をめぐる本は多いが、これが一番わかりやすく詳しい。歴史順、各国別に代表的な地図を解説している一方、独特の見方での分類も試みている。「環境としての地図」「探検と捜索のための地図」「ドグマ(宗教的信条)をあらわす地図」「独立をあらわす地図」「共有される過去をあらわす地図」「断片的な証拠を伝える地図」「神意があらわす地図」という見方も提供する。
地図製作には知恵と技術と勇気がいる。キャプテン・クックや伊能忠敬の航海術や旅行術、分度器や三角測量からランドサットやGPSにいたる観測技術、測地学と図法学の知識。これらがぴたりと重ならないと時代を画する地図は生まれない。地図は使うものである。だから一般化も必要だ。それゆえメルカトル図法やイラストレーティブな才能も必要だった。本書はそのすべてを回遊する。
ボルヘスの短編に、ある帝国で皇帝が実物大の地図をほしがったのでその要望に応えたところ、地図が帝国を覆ってしまい、やがて地図が綻びるとともに帝国が滅亡したという話がある。地図は実世界の縮約になっている。つまり地図は世界をポータブルにし、為政者や企業家や消費者が世界をやすやす入手するためのものなのでもある。本書はメディア学の著者が、地図がもたらす「想像力」とはどういうものなのか、その好ましい案内をしてくれる。
こういう地図本も便利だ。本書は、ふつうなら地図にしにくいもの、また入手しがたいもの、たとえば重要鉱物資源マップ、食料資源配分地図、秘密結社マップ、国際テロ組織のネットワーク図、極右地図、世界中の情報機関、マフィア関連地図などを案内している。ポーの『黄金虫』やスチーブンソンの『宝島』このかた、われわれは「好奇心を満足させる地図」を見てみたいのである。埋蔵地図、世界廃墟地図、シダ植物地図などもどうぞ。(編集工学研究所所長・イシス編集学校校長 松岡正剛/SANKEI EXPRESS)