緊張と重圧の「チャイコフスキー」 ロシア・モスクワ
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チャイコフスキー国際コンクールはロシアの作曲家、チャイコフスキー(1840~93年)を記念して1958年に第1回が開催された。コンクールは1950年代初頭、スターリン政権下でソ連の名声を高める狙いで考案されたが、朝鮮戦争(1950~53年)の激化などを受け頓挫。53年にはスターリンが死去し、計画は流れたかに思われた。
しかしその後、フルシチョフ政権下で再び構想が動き出し、「チャイコフスキー」の名前を冠したピアノ、バイオリンの国際コンクールとして開催される運びとなった。56年にはハンガリー動乱が起き、ソ連軍が介入。ソ連に対する国際的な非難が高まり、構想は再び頓挫するかと思われたが、コンサートへの招待を受けたベルギーのエリザベート王妃(1876~1965年)が訪ソを承諾したことなどから、開催が実現したという。




