緊張と重圧の「チャイコフスキー」 ロシア・モスクワ
更新海外でも熱狂
以来、コンクールは4年おきに開催され、数多くの若い音楽の天才を世に送り出してきた。第1回のピアノ部門優勝者、米国のバン・クライバーン(1934~2013年)は、本国では紙吹雪のパレードで熱狂的に迎え入れられたという。米国はその前年、人工衛星打ち上げでソ連に先を越されており、“敵地”でのクライバーンの活躍に人々は歓喜したというわけだ。
第2回の優勝者であるソ連のウラジーミル・アシュケナージ(78)は翌年、コンサートを行ったロンドンに残り、後にアイスランド国籍を取得した。英紙ガーディアンへのインタビューに対しアシュケナージは、コンクールへの参加は「クライバーンの優勝に腹を立てたソ連文化相の命令だった」と証言している。コンクールは、まさに国家の威信をかけたものだった。




