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「マグナ・カルタ」制定800年祭を祝う 英国・ソールズベリー
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ソールズベリー大聖堂のチャプター・ハウスに展示された「マグナ・カルタ」をみる来訪者。現存する4つの原本の中で最も状態がよく保存されているという=2015年6月15日、英国・ソールズベリー(内藤泰朗撮影)
中世イングランドで王権の制限を定め、後に「法の支配」の理念を生み出した「マグナ・カルタ(大憲章)」が制定されて今月15日で800年を迎えた。“成立の地”での記念式典には、エリザベス女王(89)やデービッド・キャメロン首相(48)が出席して自由と人権の概念の始まりになった憲章の誕生を祝った。残存する4つの原本のうち1つを保管する英南西部のソールズベリーに、地元ウィルトシャー州の観光協会に誘われるまま出かけてみた。
その原本は、ソールズベリー大聖堂にあった。中世の面影が今も色濃く残る街の中で、そびえ立つ塔がひときわ目立つ大聖堂のチャプター・ハウスに入ると、太陽光を遮断するための小部屋ができており、観光客たちがそのお宝を一目見ようと行列をつくっていた。
「現存する4つの原本の中でこれが最も明瞭なものです。太陽光に当たらずに保管されていたからです」。ガイドのポールさんは、こう説明し、写真撮影を許可してくれた。
だが、「フラッシュをたいてはダメ。後世までこの遺産を引き継がなければなりません」とクギを刺された。来訪者たちに尋ねると、「修学旅行でやってきた」「英国人として一度は原本を見ておきたかった」「国民の自由と権利を守る世界の法は全てここから始まった。見ないわけにはいかない」…。さまざまな答えが返ってきた。
だが、そんな「宝物」を、第二次大戦中の1941年、チャーチル英政権が米国から戦争協力を取り付けるため、寄贈する計画があった。自由の憲章は、戦争の“道具”として使われる危機にあったという。
大聖堂の図書館にも足を運んだ。9世紀からの古い書物を保管しており、まるで博物館だ。司書のエミリーさんは、マグナ・カルタが狙われていることを知った当時の司書が、こっそりと自宅に持ち帰り、ベッドの下に隠していたとの“秘話”を披露してくれた。
「本は、人類の歩みを示す宝だ」。そう語るエミリーさんは「(マグナ・カルタが)一枚のヒツジの皮に書かれた実にシンプルなものだからこそ、重い意味をもつ」と強調した。原本が米国に寄贈されずに残ったことは、誇りだった。
マグナ・カルタは、重税を課すなどしたイングランド王ジョン(1167~1216年)の失政に怒り、団結した貴族たちが、貴族や市民の権利を王に認めさせた最初の文書だ。
英国はその後、混乱の時代を経ながらも、16~18世紀の大陸欧州では絶対王制が主流となる中、1688年の名誉革命を経て王権を制限する立憲政治で近代国家をいち早く成立させることに成功し、王室も存続した。
ソールズベリーのマグナ・カルタ800年祭は、パレードやパフォーマンスも行われた。しかし、夜10時すぎには全て終了し、夜通し騒ぐラテン系のお祭りとは異なっていた。
今回のイベントには、中国人記者たちも多数参加していた。どんな記事を書くのか、聞いてみると、中世の雰囲気を残すソールズベリーを紹介する“観光用”の記事にするといい、自由や人権、法の支配といった「政治問題」には踏み込まないと話していた。
一方、1215年6月15日にジョン王が貴族らと会見し、大憲章に調印したロンドン西郊のラニーミードでは15日、エリザベス女王やキャメロン首相が出席して記念式典が開かれた。
キャメロン首相は演説で、インド独立の父ガンジーや黒人差別撤廃に尽力した南アフリカのマンデラ元大統領に触れ、「ここでまかれた(民主主義の)種は世界中で育ってきた」と述べ、マグナ・カルタが「世界を変えた」と強調した。
さらに、英政府が、行きすぎた犯罪者の人権擁護などの問題が指摘されている欧州の人権法に代わる英国案を準備していることも明らかにした。
だが、人権擁護団体などからは「キャメロン氏は祭典を政治的に利用している」などと早くも批判が噴出している。人権誕生の地、英国の人権をめぐる論争は、当面続きそうだ。(内藤泰朗、写真も/SANKEI EXPRESS)