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核の脅威伝えるシェルター ドイツ・ベルリン

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核の脅威伝えるシェルター ドイツ・ベルリン

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核シェルターの内部にずらりと並ぶ折りたたみ式ベッド。ベルンハルト・シュッテ館長が案内してくれた=2015年2月18日、ドイツ・首都ベルリン(宮下日出男撮影)  【Viva!ヨーロッパ】

 米国と旧ソ連を中心とした東西冷戦時代に最前線となった街ベルリン。旧東西ドイツ統一から四半世紀が経過した今、街は平和な雰囲気に包まれるが、それまでベルリン市民には核戦争も「現実の脅威」だった。街中に残る当時の核シェルターは、そんな緊張に包まれた時代の記憶を伝えていた。

 博物館で一般公開

 旧西ベルリンの繁華街クーダム通り。観光客も多く、高級ブランド品店などが並ぶ大通りの商業ビル前に、戦闘機の翼をかたどった大きなオブジェがそびえていた。ベルリンの歴史を紹介する私設博物館「ヒストリー・オブ・ベルリン」の目印だ。ビルの地下部分に併設された核シェルターも公開されている。

 地下に降りると、薄暗い空間に4段の折りたたみ式ベッドを備えた鉄の枠組みがぎっしりと並んでいた。ベッドといっても鉄パイプの枠に布を張った簡素なもので、長さは約170センチ。案内してくれたベルンハルト・シュッテ館長(60)は「僕の身長は190センチだよ」と笑いながら語った。

 面積約4000平方メートル、収容定員3952人。説明によると、冷戦時代、西ベルリン市はシェルターを整備する建築主にベッドの数に応じて補助を出していたこともあり、限られたスペースにできるだけ多くの市民が収容できるようにしたようだ。

 2週間の滞在を想定

 1974年に稼働したシェルターは2週間の滞在を想定して設計された。空中の放射性物質が地面に落ちるまでの期間を考慮してのことだ。自家発電機、地下水をくみ上げる給水装置などがあり、換気設備は外部から取り込む空気の放射性物質を除去するため、3重の浄化装置を備える。放射性物質が入ったり、感染症が発生したりすれば、シェルターは重厚な扉で2つに区分されるという厳重さだ。

 避難者はまず、入り口の小室に入る。ここで衣服を脱いでシャワーを浴び、シェルターに入室後、避難者用スーツを着る。定員に達すれば、それ以上は入れない。“早い者順”だ。小室には監視用窓もあるが、シェルター内部から監視員がのぞくのは、避難者との接触をさけるだけでなく、会話を通じて特別な計らないなどを防ぐためだ。

 無事、シェルターに入室できたとしても、その生活は決して安心できるものではない。計算すれば、1人当たり約1平方メートルのスペースしかない。天井は低く、節電のため照明は控えめにされる。密集状態では湿度も室温も上がる。外部の余分な空気が侵入しないように室内は通常より高い気圧で保たれるため、頭痛を訴える人もでてくるとみられる。

 そんな環境の生活に避難者がストレスを感じるのは想像に難くない。トイレの個室が扉でなくカーテンで仕切られているのは閉じこもりを防ぐため。洗面所に鏡がないのは、壊して他人や自身を傷つける道具として使われかねないからだ。地下水のくみ上げポンプに電動式だけでなく手動式の装置があるのは、何かをすることで避難者の“ストレス発散”にもつながるとの配慮があるためだ。

 今も稼働可能

 2週間の滞在後、避難者はシェルターを出なくてはならないが、外部に出ても危険が去っているとの保証はない。「シェルターには生存への希望を与える心理的な機能しかない」。シュッテ氏の言葉が重く響いた。

 観光客が増加傾向にあるベルリンで、シェルターを含む博物館への訪問客も年々増え、昨年は約23万人が訪れた。このうち3割以上が日本人を含む世界各国からだった。一部スペースは市民がイベントに使えるようにもしている。

 シェルターは今も緊急事態があれば、短期間で稼働できる状態を保っている。シュッテ氏によると、一般市民向けシェルターを公開しているのは「ベルリンではこの博物館だけだろう」といい、その意義について「とくに若者にとっては頭で考えるよりも、実物のシェルターを見ることで、戦争を起こすことの意味が、より説得力を持って想像できるはずだ」と強調した。(ベルリン 宮下日出男、写真も/SANKEI EXPRESS

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