ニュースカテゴリ:EX CONTENTS
国際
地下鉄開業80年 色あせぬ「宮殿」 ロシア・モスクワ
更新
宮殿を思わせるコモソモルスカヤ駅の構内=2015年5月28日、ロシア・首都モスクワ(黒川信雄撮影)
夜8時、帰宅を急ぐ人々が一斉に車両から出てきた。ホームでは、恋人と待ち合わせているとおぼしき女性が時計に目をやっている。地下道からは、地方から出てきたと思われる日に焼けた男性が、大きな荷物を持ちながら上がってきた。
年代物ながら、まばゆいシャンデリアと、壮麗な彫刻が彫り込まれた円天井を備えたモスクワ地下鉄、コムソモルスカヤ駅のいつもの風景だ。1958年のブリュッセル万博で大賞を受賞したというこの駅は、今もその輝きを失ってはいない。地方とモスクワを結ぶ3つの駅と隣接したコムソモルスカヤ駅は、「モスクワ市の玄関」とも称される。
1935年に開業したモスクワ地下鉄は、「地下の宮殿」とも称される独特の美しさが特徴だ。開設80周年を迎えた今年は、さまざまな駅でコンサートやイベントが行われたが、オーケストラが陣取っても舞台として全く引けを取らない宮殿のような姿が象徴的だった。
80周年を記念し、今年は車内アナウンスを人気俳優や女優、歌手らが務めている。お決まりの「年配者や子供連れの方、妊娠中の女性などにはぜひ席をお譲りください」との呼びかけは、それぞれのアナウンサーの特徴が出て面白い。
「太陽に灼(や)かれて」などの映画で日本でも知られる映画監督、ニキータ・ミハルコフ氏(69)は、「お忘れ物をなさいませんよう、お気をつけ下さい」とのアナウンスに「まだ皆さんの役に立つものですからね」とそっと一声を添えていた。
モスクワ地下鉄は、1917年の革命以降、急激に増加した首都の人口の輸送を支えるために建設が計画された。30年代初頭、モスクワの人口は400万人に達していたとされる。既存のトロリーバスなどだけでは、人々の移動は困難になりつつあった。当時のソ連はレーニンが死去し、スターリンの時代となっていた。“国家の威信”をかけた一大プロジェクトに、建築家らは頭を悩ませたという。英国やドイツの地下鉄を参考にしたが、あくまでも「ソ連らしい」様式が求められた。
宮殿のような駅の建築に至った背景には、「古代エジプトにはファラオ(王)のために宮殿があった。しかしわれわれは、人民のために宮殿を作るのだ」との方針で建築家らの意見が一致したからだという。当時、地下鉄の建設予算はモスクワ市の予算の2割に達したともいわれる。その結果、50年代前半までに建設された地下鉄駅は、ずばぬけて壮麗な姿になった。建設は、第二次世界大戦の最中も続けられたという。特徴的な駅を紹介しよう。
ウクライナの首都、キエフの名を冠した駅。ソ連建国当時のウクライナ、ロシア人の友好を象徴する数々のモザイク画が掲げられている。上りと下りのプラットホームを結ぶ駅の最奥には、レーニンのモザイク画とともに、両国の“永遠の固い友情”を祝した銘板がある。現在のウクライナ情勢に思いを寄せざるを得なくなる場所だ。
駅構内に飾られているモザイク画はソ連時代の巨匠、ウラジーミル・フロロフらが作成したもの。フロロフは当時、ドイツ軍に包囲され、飢餓で数百万人が死亡したレニングラード(現サンクトペテルブルク)で活動しており、これらのモザイク画は彼の最後の作品群とされる。完成したモザイク画は、爆撃が続いていたラドガ湖経由で運ばれた最後の貨物に乗せられ、モスクワに到着した。間もなくフロロフは死去したという。
76体もの銅像が駅構内の通路のアーチ脇に据え付けられている。国境警備兵や農民、スポーツ選手、作家、労働者といった、ソ連時代に英雄視された民衆をモチーフにしているのが特徴。開設当時にはスターリンの彫刻が飾られていたが、後に撤去された。犬の銅像の鼻を触ると試験に合格し、女子学生の足を触ると異性との関係がうまくいくのだとか。
他にも、第二次大戦中、軍の施設が設置され、列車がすべて通過したというチーストゥイ・プルディ駅や、ステンドグラスで飾られたノボスラボツカヤ駅、大理石の中に化石を見ることができるドブリーニンスカヤ駅など、特徴的な駅がある。
他国の地下鉄同様、モスクワ地下鉄もまた、事故や事件と無縁ではなかった。2010年には連続爆破テロが起き、計40人以上が死亡したとされる。後に、イスラム過激派による犯行だったことが判明した。地上の道路は車の急激な普及についていけず、頻繁に発生する渋滞でパンク状態に陥っている。そのため人々は、大事な用事があるときは車を使わず、今でも地下鉄を使って移動する。現在総延長約300キロのモスクワ地下鉄は今後もさらなる延伸や拡張が計画されており、市民の頼れる足としての活躍が続きそうだ。(黒川信雄、写真も/SANKEI EXPRESS)