「当初から誤報と思っていた」 朝日報道に呆れる“福島フィフティー” (1/2ページ)

2014.9.11 20:16

福島第1原発所長を退任した後、免震重要棟の緊急時対策本部を訪問してあいさつする吉田昌郎氏=2011年12月9日

福島第1原発所長を退任した後、免震重要棟の緊急時対策本部を訪問してあいさつする吉田昌郎氏=2011年12月9日【拡大】

  • 会見中、謝罪した(左から)木村伊量社長、杉浦信之取締役編集担当ら=11日午後、東京・築地(川口良介撮影)
  • 福島第1原発免震重要棟内の緊急時対策本部=2011年4月(東京電力提供)
  • 朝日新聞東京本社=11日午後、東京都中央区

 「普通の人が逃げるところに俺たちは行ったんだよ? そんな連中が吉田昌郎所長の命令に違反して逃げるわけがない。朝日新聞の報道は当初から誤報だと思って黙殺していた」

 福島第1原発の収束作業に従事し続けた東電協力会社の30代社員は、吉田調書の公開を受けて振り返る。

 2号機圧力抑制室の圧力がゼロになった後も原発に残った作業員約50人を海外メディアが「福島50」と報道。その後収束に入った作業員もいつしか含まれるようになった。男性はその一人だ。

 平成23年3月11日の震災当日、原発近くの建設現場にいた。1号機が水素爆発した翌12日、上司から「危ないらしい」と連絡を受けて関東地方の自宅に一旦帰ったが、13日、その上司が「とにかく行ってくれ」と原発に戻るよう要請。妻と2人の幼い子供を残し、北に向かった。

東電社員のなかにも悔しがる人がいた

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