ほかにも渡辺さん宅からは「伊賀甲賀唯法忍秘密子細有之」や「忍術極法」といった標題の文書も見つかっており、甲賀者としての“裏の顔”がどのようなものなのか興味は尽きず、さらなる解明が待たれる。
ほかにも眠る古文書があるかも…
尾張藩では、渡辺さんの先祖をはじめ5人の甲賀者が雇われ、「甲賀五人」と呼ばれた。同様に、現在の大阪にある岸和田藩でも50人の甲賀者が雇われ「甲賀士五十人」と呼ばれた。これらの甲賀者は、いずれも通常は甲賀の地にいて、農業などをしながら生活していたとみられる。
ところが渡辺さんは、先祖が「甲賀者」であることを全く知らなかったという。化学メーカーの研究者として東京で長く勤め、地元に戻ってきた平成12年ごろ、発足したばかりの甲賀忍術研究会に加わり、しばらくたった会合で「渡辺善右衛門を知らないか」と聞かれ、驚いた。
「渡辺善右衛門という名を継ぐはずだった…」
父親からは何も聞いていなかったが、祖母からそう言われたことがあった。
家の蔵を探すと、短い刀と大量の古文書が出てきた。古文書を解読して初めて、先祖が「甲賀五人」と呼ばれた甲賀者の1人として、何代にもわたって尾張藩に仕えてきたことが分かったという。
甲賀地域の忍者の末裔については現在も、甲賀市の「甲賀流忍者調査団 ニンジャファインダーズ」が古文書などの調査を進めており、ほかにも資料が見つかる可能性が期待されている。渡辺さんは「高い能力を持った人たちが、普通に住んでいたのが甲賀の地。全国にも認められて、ほかの土地でも見事な働きができる。誇りにすべき存在だと思います」と話している。