全霊協が16年ごろに加盟業者の協力で行った調査では、全国150以上の火葬場がすでに宮型の入場を規制していた。大阪府枚方市や埼玉県越谷市は条例で火葬場への出入りを禁止。宮型霊柩車を敬遠する住民に配慮する自治体が増えている。
自宅での葬儀減少…死生観の変化が原因?
『霊柩車の誕生』の著書がある国際日本文化研究センターの井上章一教授によると、宮型は大正期、大阪の会社「駕友(かごとも)」が始めたのが通説とされるが、今年1月に倒産したセガワや他県の業者が元祖とする説もあるようだ。
大正末期、路面電車が普及すると、棺を輿(こし)で担いで自宅から墓地まで葬列をなす「野辺の送り」が線路をふさぐ迷惑行為とされ、一方で自動車の普及で火葬場が郊外に増えたため、遺体を運ぶ役目は輿から車に代わった。井上教授は「当初は、死体を車の積み荷にするようなやり方は抵抗があったが、車を使うしかない背景もあり、せめて飾りを付けようと始まったのが宮型」と説明する。
宮型が減少した理由について、井上教授は「自宅での葬儀が減ったこと」を挙げる。霊柩車が同じルートをたどって郊外の火葬場に向かうため、1日に何度も見かける住民が「死を連想して不吉だ」と考え始め、嫌われる存在になったようだ。さらに「社会の洋風化」が日本の宗教、死生観を変え、衰退を加速させたとみている。
井上教授は「人の気持ちが時代とともに変わるのは仕方ないが、社会から宮型がなくなるのは寂しい」と話した。