ただ、海外市場ではシェアは伸び悩み、国内市場だけの内弁慶とも言われていた。そのこともあり、町田氏の後継社長、片山幹雄氏(現会長)は19年、堺市での世界最大規模の液晶パネル工場の建設を決断した。
大画面の液晶テレビを効率よく量産するための4千億円超の先行投資で、ライバルのパナソニックやソニー、韓国サムスン電子との世界市場での競争に挑んだ。シャープの18年の世界シェアは11・5%だったが、片山氏は「最低でも15%、20%を目指したい」と規模を求めた。
このとき、シャープは世界市場を射程にとらえた絶頂期にみえたが、すでに薄型テレビの価格下落による消耗戦に苦しんでいた。やがて部品を集めて組み立てれば、一定の性能を持つ製品がつくれる時代に突入。心臓部の液晶パネルすら製造装置さえ導入すれば比較的簡単に製造でき、安い人件費を使って安価な製品を量産できる台湾や韓国勢が台頭していた。