【九州の礎を築いた群像 安川電機編(6)敬一郎と第五郎】「財産は国家のために使い天恵に報いよ」 孫文を支援、東洋近代化に尽力 (4/7ページ)

2014.5.21 08:30

安川敬一郎が私財を投じて創設した明治専門学校(安川電機提供)

安川敬一郎が私財を投じて創設した明治専門学校(安川電機提供)【拡大】

 そこで敬一郎は洞海湾に面する若松港を浚渫(しゅんせつ)し、水深を6メートル以上、掘り下げた。さらに藩校修猷館の同窓である金子堅太郎(1853~1942)が、農商務次官として候補地選定の責任者だったことから説得を試みた。政府は明治30年、八幡での官営製鉄所建設を決定し、34年に操業を始めた。そう考えると八幡・戸畑の繁栄の礎は敬一郎が築いたと言っても過言ではない。

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 第五郎はそんな父、敬一郎の生き様に大きな影響を受けた。

 第五郎は大正4年、29歳で安川電機製作所を設立したが、17年連続で赤字を続けながら「利潤は目的ではない。公益が優先だ」と言い続けた。

 そしてようやく事業が軌道に乗った昭和17年2月、突然社長の座を降りた。戦時下の経済統制団体の1つ、電気機械統制会の初代会長に担がれたからだった。この2カ月前には、敬一郎の次男の松本健次郎(1870~1963)も石炭統制会会長に就任している。

 安川電機は全国的にみれば中堅メーカーにすぎなかった。にもかかわらずお鉢が回ってきたのは日立製作所や東芝など大手が固辞したからだ。お人好しの第五郎は、商工次官の椎名悦三郎(1898~1979)=後に外相、内閣官房長官など歴任=に「あなたしかいない」と直接指名され、断り切れなかったという。

 だが、引き受けた以上は全力を尽くすのが信条。統制会発足直前、陸軍省に呼び出された第五郎はこう断言した。

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