【九州の礎を築いた群像 安川電機編(6)敬一郎と第五郎】「財産は国家のために使い天恵に報いよ」 孫文を支援、東洋近代化に尽力 (7/7ページ)

2014.5.21 08:30

安川敬一郎が私財を投じて創設した明治専門学校(安川電機提供)

安川敬一郎が私財を投じて創設した明治専門学校(安川電機提供)【拡大】

 第五郎は財界随一の「原子力通」となった。31年1月、政府は原子力政策を担う原子力委員会を発足させ、同年6月には特殊法人日本原子力研究所(現日本原子力研究開発機構)を設立。第五郎に初代理事長就任を要請した。

 同研究所は茨城県東海村に沸騰水型実験炉(出力50キロワット)を建設し、昭和32年8月27日午前5時23分に臨界を達成、日本に初めて「原子の火」が灯った。

 「この寒村にて数多くの困難を乗り越え、この成果に到達した関係者の苦労と努力に深い感謝と尊敬の念を新たにしております…」

 同年9月18日に開かれた祝賀会で第五郎は約700人の出席者を前に笑顔でこう語り、頭を下げた。

 2カ月後の11月には商業炉の建設・発電を担う日本原子力発電株式会社(日本原電)が設立された。第五郎は研究所理事長を辞任し、初代社長に就任した。各電力会社社員の寄り合い所帯となる日本原電で組織をまとめることができるのは、無私無欲の第五郎しかいなかったのだ。

 ある高名な経済評論家は「バカ者でなければこんな役目は引き受けない」と辛辣に批判したが、第五郎は「1人くらいバカがいなくては新事業は興せない」と開き直った。ちなみに、日本初の商業炉である東海原発建造に際し、安川電機製の電気機械は1台も採用しなかった。

 昭和51年6月25日、第五郎は東京・田園調布の自宅で静かに息を引き取った。享年90。葬儀委員長を務めた第五郎の甥で安川電機会長の安川寛(1903~1999)は弔辞でこう述べた。

 「私たちは、あなたが私心を捨てて尽くされた誠(まこと)が天に通じたことを心から喜び、安川電機を超えて、そびえる大樹を創業者に仰ぐことにひそかな誇りを抱いておりました…」

 安川電機は今年7月で創業99年を迎えるが、敬一郎、第五郎の志は、社員たちに脈々と引き継がれている。(敬称略)

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