家業をアウトドア用品大手に変えた2代目社長 スノーピーク山井氏、起死回生の一手となったのは? (4/9ページ)

2015.2.24 10:56

山井太・スノーピーク社長(中央)と、村田育生・村田作戦社長(後列左)、大栗芙実子・OKURICOMPANY社長(同右)=新潟県三条市

山井太・スノーピーク社長(中央)と、村田育生・村田作戦社長(後列左)、大栗芙実子・OKURICOMPANY社長(同右)=新潟県三条市【拡大】

  • 対談に応じる山井太・スノーピーク社長。手前は大栗芙美子OKURICOMPANY社長

 村田氏 そのときの会社の規模はどれぐらいでしたか?

 山井社長 私が入社したのが1986年で、そのころは年商5億円ほどでした。1988年にオートキャンプを立ち上げて、5年後に25億円ぐらいになった。1回目のピークが1993年で25・5億円。オートキャンプがブームだったんです。

 村田氏 そこから急落したんですよね。

 山井社長 6年間下がり続けました。14・5億円まで。加熱していたオートキャンプブームがしぼんだことが原因ですね。あとはオートキャンプを支えていた団塊世代の退出も響きました。

 村田氏 そのころアウトドアショップでは、何を売っていたんでしょう?

 山井社長 アウトドアの業界って、なにかしら流行があるんです。私たちが学生のころは「モンクレール」のダウンジャケットがブームだったし。売れるものを集めて店先に置けば、お店としてはビジネスになる。一方で、流行の移り変わりが激しいので、オートキャンプブームが去ったあとは私たちが営業に行っても店主から「何しに来たの? もう来なくていいよ」みたいな言われ方をしましたよ。

 村田氏 で、どうした?(笑い)

 山井社長 実際、1999年の売上高が14・5億円で。経常利益が4000万円。そのままでしたらあと1期で赤字転落でしたね。ありとあらゆることをしました。製品開発もたくさんしていたし。それでも売り上げが下げ止まらなくて。それと、ピークの93年を迎える前の、92年に父が亡くなりました。その後を継いで母が社長に就任したんですが、93年にピークをつけたあと、94、95と売上が下落。96年に母の後を継いで私が社長になりました。随分とタフな社長デビューでした。

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