家業をアウトドア用品大手に変えた2代目社長 スノーピーク山井氏、起死回生の一手となったのは? (6/9ページ)

2015.2.24 10:56

山井太・スノーピーク社長(中央)と、村田育生・村田作戦社長(後列左)、大栗芙実子・OKURICOMPANY社長(同右)=新潟県三条市

山井太・スノーピーク社長(中央)と、村田育生・村田作戦社長(後列左)、大栗芙実子・OKURICOMPANY社長(同右)=新潟県三条市【拡大】

  • 対談に応じる山井太・スノーピーク社長。手前は大栗芙美子OKURICOMPANY社長

 大栗社長 直接、ユーザーさんの声を聞くキャンプイベントですね。成果はありましたか?

 山井社長 大きかったんですね。転換点になりました。「カンブリア宮殿」(テレビ東京)でも取り上げられたんですけれど、スノーピークのユーザーさんが30組ぐらい集まって語り合ったんです。そこでユーザーさんから出てきたのが、価格が高いということ。「社長、ホント高いよ」って。そのころの当社のテントは8万円でした。他社の9800円の8倍、1万9800円の4倍。でも私としては、他社の製品は1回使えば壊れておしまいじゃないか、って思いがあったんですけど、熱狂的なスノーピークファンのみなさんから、口をそろえて高いと言われましたから、それは大きいです。

 大栗社長 価格への不満ですね。

■「脱・問屋取引」を決めた理由

 山井社長 もうひとつ出てきたのが、店の品ぞろえが悪いということ。当時は当社製品を取り扱っている店が1000店ほどあったのですが、多くは問屋さん経由で扱ってもらっていました。そうしたら、そのキャンプイベントに、静岡県から参加されているユーザーさんが、県内にある4つの取扱店のいずれも品ぞろえが悪いと訴えてきたんです。「全部まわったのに、欲しいものがどこにも置いてなかったんだよ。お店、見たことあんの、社長」って。

 大栗社長 ズバリ言われましたね。

 山井社長 いろいろ考えをめぐらせてはいましたが、問屋との取引を見直す決断をしたのは、そのときでした。

 大栗社長 問屋さんと取引するメリットも断ち切ることになりますね。

 山井社長 80年代後半のころは、オートキャンプがブームだったので、作ったものを一斉に売ってくれたほうが手っ取り早かったんですね。

 村田氏 しかも企画製造メーカーだから、販売の懸念をせずに済むところもありますね。作るマインドと、売るマインドとは随分、違いますから。

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