結局、翌年にこの工場は中国企業に売却することになる。テレビが売れたり、売れなかったりという中で経営判断が揺れ、場当たり的であったことをうかがわせる。
就任2年目には、社内に「気の緩み」を感じられる地面も散見された。
26年9月、亀山第2工場を報道陣に初公開した。経営を圧迫する“現場”でもある工場の公開は、液晶でライバル関係にあったジャパンディスプレイ(JDI)への「勝利宣言」でもあった。JDIは茂原工場(千葉県茂原市)の生産ラインの立ち上がりがうまくいかず、上半期決算ではシャープに軍配があがっていたのだ。当時の担当者の1人は「うちのラインがなぜ(JDIに)勝てたかを見てほしい」とまで言い切っていた。
同年12月には、4年ぶりにメディアを招いた役員懇親会を開催。シャープの液晶の強みについて、自慢げに語る役員たちの姿があった。
ただ、すでにこの頃、足もとには火がついていた。中国ではJDIが新型液晶で猛追。シャオミに食い込み、シャープはシェアを落としていた。現地メーカーも技術力を上げる一方、市場全体がスマホ一巡の一服感から減速局面に入ったのだ。「中国で液晶がコンペティティブ(競争環境)」と見るやシャープ株を空売りしたヘッジファンドもあった。