そんな兆候に気づかないまま、シャープ首脳は、つかの間の宴を楽しんでいたのである。
次第に沈黙するように
26年の年末から27年年頭にかけ深刻な事態が表面化し、経営危機の第2ラウンドが始まる。
シャープは27年5月、再度の中期経営計画を策定。金融機関からの2千億円規模の金融支援、減資、本社売却と言った再建策が打ち出されたが、肝心の液晶は温存したままだった。この時の記者会見で高橋氏は「液晶がなければ、再建計画は成り立たない」とまで言い切った。
ところが、舌の根も乾かぬわずか2カ月半後に行われた27年4~6月期の決算会見で、高橋氏は「液晶の分社化検討」を表明。再建の柱が早くも折れた。
経営が迷走する中で、3千人規模の希望退職が行われ、自主退職も相次ぎ人材の流出が深刻化。こうした中で、トップは次第に沈黙するようになっていった。
高橋氏は一体何を守りたいのか。液晶なのか、従業員なのか、シャープの看板なのか。昨年秋の夜回り取材で質問をぶつけた。