「誰も知らないわたしたちのこと」【拡大】
■「命の選択」問題突きつける
新型出生前診断が開始されて1年がたつ。大きな議論を経ないまま、実施する医療機関は倍増した。陽性の診断を受けた女性の大半は中絶したという報道も先走ったが、子供を諦める選択をした女性の葛藤はほとんど世に出ることなく、彼女たちはひっそりと今も苦しみ続けている。
本書はイタリア人の作家による小説で、著者自身が実際に経験したことから紡ぎだされている。主人公は5年間の不妊の上にようやく待望の子供を授かったが、妊娠29週の時に突然、胎児に異常があることを告げられる。生まれてすぐに死んでしまうかもしれないし、あるいは生き延びられる可能性もある。いずれにせよ、障害を持つようになることは間違いないと。
限られた時間で命を選択しなければならない葛藤、陣痛を誘発して産まなければならない人工死産の壮絶さ、すべてが終わった後の喪失感が、息づかいまで伝わってくるほどの生々しい筆致で描かれる。極限の状態になると得てして顔を現す動物としてのエゴと、踏みとどまりたいという人としてのモラルの間で激しく揺れる姿に圧倒される。炙(あぶ)り出されるのは「理想と現実を一致させようとする試みはほとんどいつも負け戦になる」という普遍的な真理だ。
理想として思い描いている子供や人生は本当に実在するものなのか。そしていつまでも負け続けることをよしとするのか。勝ちに転じる鍵は、現実をありのまま受け止める作業にこそあるのではないかと本を閉じた時に思い至る。いずれの選択をしたとしても。あるいは選択しないことを選択したとしても。
命の選別は、我々がどのような社会に暮らしたいかということを問うている。女性の自己決定に委ねるだけではなく、触れてはいけないことのようにタブー視せず、また建前の美談で終わらせることなく、皆で本気で議論しなければならない問題だろう。実質的な事柄であると同時に、人間のありようの根幹にかかわる文学的な問いでもあり、本書は考える上での手がかりとなる。4月4日、イタリア文化会館で著者の講演がある。(紀伊国屋書店・本体1800円+税)
評・河合香織(ノンフィクション作家)