1年間、気仙沼に滞在していた根岸さんは「漁師さんたちや直売所のおばあちゃん、仮設住宅の方々、たくさんの人に出会い、話す言葉ひとつひとつにひかれた。家族のように温かい場所ができて、『早く帰ってこい!』と言ってくれる人が増えた。滞在し始めた頃には考えられなかった」と、振り返った。
また、地元の漁師さんとの交流を通じ、第一次産業の衰退を肌で感じたという。「実際に第一次産業に従事する人の話を聞き、生活に触れることで、今まで教科書の中でしか知らなかった問題を、初めて身近に感じることができた。東京での大学生活には、社会と関わっているという実感がなかった」と、根岸さんは言う。
「東北にすら一度も行ったことのない学生も参加して、コンサートを開くのは簡単なことではなかった。でも、実際に被災地に行って、自分たちができることをするのは、いわばフィールドワークのようなもので、社会との接点が生まれた」と、私も話した。
勝山さんは「実際に現地に行って、何キロも流された大型船や、更地になった家の跡を目の当たりにすると、長期滞在しなければできないことがあると感じた。東京にいると、自分の中でも風化してしまいかけていた」と話し、現場で感じることの大切さを訴える。