主人公は2人の巨人。ノートルダム寺院の釣鐘を軽々とぶらさげるほどの大巨人ガルガンチュアと、その息子で、やたらに塩をまいてみんなの喉を乾かしてしまうので“のどカラカラ王”と呼ばれた巨人パンタグリュエルだ。この2人の巨人とその仲間の冒険とが大作の中でつながっている。そういう前代未聞の荒唐無稽な物語だ。
この大作、ともかく物凄い。めちゃくちゃな筋書きなのに博識無比である。随所にスカトロジー(糞尿趣味)をまきちらしているのに、どこを切ってもヒューマニズム(ユマニスム)に充ち溢れている。矛盾だらけなのにセイトンだらけ、世の中の俗物に対する痛烈な批判だらけなのに、すこぶる人生訓に富んでいる。こんな奇っ怪な読み物はほかにない。だからこそ、のちのモリエールもバルザックも、ジャン・コクトーもボルヘスも、大江健三郎も井上ひさしも、心の底から傾倒してしまったのだ。
20世紀最大の文芸批評家ミハイル・バフチンが「世界文学はラブレーとドストエフスキーに尽きている」と言ったのも宜(むべ)なるかな。この大作はわれわれ人間の知能と行動が出会えるすべての可能性を秘めたポリフォニー(多声性)の、母型中の母型なのである。大半の人間の感情と思索がすっぽりと入ってしまい、そこから出てくるときは別のものになっているという、超文芸的な「クラインの壺」なのだ。