残された餌を見れば、それは明らかにリアルにそこに在るのだから確かにここには来たのだけれど、あれは既に死んでいたロスだと言われても、そんなこともあるのかもしれないと思わせるような佇まいであった。
生者と死者が彷徨い歩く
こんなふうに案外生々しく生きているものと死んでいるものがすれ違うようなことも、時にはあるのかもしれない。特にこんな端午の節句を過ぎて尚、ストーブに火を入れなければならないような季節外れの肌寒い、曇っているばかりなのに雨降りのような妙な日には、尚更有り得るのではないか。
七七日(なななのか)の間には生きているものと死んでいるものとの境界線がぼやけて霞んでわからなくなって、皆が行き交うようになるという映画を観た。それは劇映画を観賞したというよりも、映画体験をしたという感触であった。大林宣彦監督はあるひとりの老人の七七日に、2つの大きな時間と歴史を放り込んだ。生者と死者が互いに彷徨(さまよ)い歩けるその期間こそ、「死」が間近にゆらめくその時こそ、「生」とは何たるかをそれぞれ問えるのではないか。死者の声がすっかり聞こえなくなる前に、生者は気付かねばならない。