勿論(もちろん)、撮影の中で直接的に体験した双子の子役の血肉には、自覚はなくともはっきりと刻まれている筈(はず)である。しかし彼らは「あんまり覚えていない」という。私の関心は、いずれにしても結果的に、この映画を彼ら以上に我々観客が体感し、記憶したことにある。つまり映画的脳内経験。疑似体験ともいう。少なくとも私はあの光景を記憶している。劇中、彼らの肉体を借りて日本の原風景に溶け込んだということだ。そして双子は忘れてしまっているけれど私は覚えているということは、カメラの前にいた双子の少年たち以上に観る側があの世界に入り込んだということにならないか。
記憶誘導装置
というわけで、特典映像で戸惑う双子の青年を見て改めて、映画芸術の生み出す虚実のおもしろさを知り、感心していた次第だが、ここでちょっと本題に入りたい。ここまで本題ではなかったのかという指摘は笑い流したいのだけれど。
冒頭著したように、私の周辺では、近年新しい命が次々誕生している。想像の範疇(はんちゅう)でしかないのだけれど、子供というものは大いなる記憶誘導装置なのではなかろうか。