消えた「信長の眺望」
安土町でまっさきに訪れたのは安土城跡。高さ199メートルの安土山に7階建て、日本で初めての天守閣をいただく城が築かれたが、いまは累々と続く石垣と石段がその名残。天守閣跡まで登ると、膝が震える。
かつては、天守閣跡から琵琶湖の内湖「大中の湖」が眺望できたが、1945年から、食糧難対策の国営干拓事業で埋め立てられた。湖の眺望を愛し、たびたび訪れていた司馬遼太郎は「街道をゆく」にこう記した。
「のぼりつめて天守台趾に立つと、見わたすかぎり赤っぽい陸地になっていて、湖などどこにもなかった。やられた、とおもった」
甘く、脂はさらっと
安土城跡から約3キロの東近江市内。琵琶湖に注ぎ込む大同川に直径13メートルの大水車があった。88年からのふるさと創生事業でつくられ、水車資料館やカヌー発着場も整備された。7世紀前半、朝鮮半島から訪れた僧・曇微(どんちょう)が、この地に水車の原形を伝えたといわれている。