追腹で完結した「心約」
乃木も泣いた。日露戦争後、乃木は明治天皇に拝謁し、多くの将兵を失った責任を取るべく全役職の解任を願い出る。と、明治天皇は「負ける戦いなれど、乃木なればこそ」とねぎらった上で「乃木は辞められるから良い」と一言。ややあって「天皇は辞められぬ」と仰せられた。静まり返る周囲。乃木はといえば、陛下の大御心の重みに立つことも適わず泣き崩れる。退出する乃木に、明治天皇は「乃木、早まるな。乃木にはまだやることがある」と、声を掛けられた。乃木の屠腹を見抜いておられた明治天皇は、迪宮(みちのみや)裕仁親王(後の昭和天皇)の御教育まで託さんと、学習院院長就任への大命を下した。乃木は天皇に「活=生かされた」のである。
西南戦争(1877年)で、軍旗を奪われ、自らを生涯責め続けた乃木は、既に20歳代後半で自裁を決心していたやもしれぬ。そこに心約が加わる。死ぬる時機を見極め続けた乃木は、明治天皇に諫められた。凡夫であれば決心が鈍る。その覚悟を天下に公言したわけではなく、心変わりしても何人も気付かない。