時代は下がるが大東亜戦争(1941~45年)劈頭の真珠湾攻撃で、特殊潜航艇=甲標的に乗り込み未帰還となった九軍神について、ジャーナリストの菊池寛(1888~1948年)は「長時間に亘つて死を覚悟し、然もそれを最期まで持ち続けてゐた」と激賞している。確率は極めて低いとはいえ、生還を前提とする甲標的による作戦は、後の特攻とは違い、生への執着が棄て切れなくても不思議はない。時間の経過や環境・立場の変化で覚悟は揺らぐ。吉良邸討ち入り前に脱落した赤穂浪士然り。
明治天皇のお心に忠実であらんとした乃木は、崩御をもって追腹に至る。ここに心約は完結した。乃木の一生はあくまで清く、あくまで静謐である反面、凄絶なのは心約故だ。
佐賀県行幸での御落涙
ところで冒頭、昭和天皇《御落涙》に触れたが、涙を流される場面は乃木殉死時の他、実録にはほとんどない、という。ならば先帝陛下が昭和24(1949)年、敗戦で虚脱した国民を励まされる全国御巡幸の一環として、佐賀県に行幸された際の逸話を残しておかねばなるまい。