9月末から10月初旬にかけて、ウスリータイガを訪ねてきた。いつの間にかもう10度目の旅だ。
相変わらずハバロフスクからタイガの入り口にあるクラスヌィ・ヤール村までの約300キロが鬼門だった。
村に住むワシリーに迎えの車を頼んでいたが、当日の朝になってキャンセル。何とかハバロフスクに住む息子に舗装道路の終点まで送ってもらい、そこから先の“超悪路”は村から迎えにきたワシリーにバトンタッチして走破した。
消防隊員と車の販売を掛け持つ息子は新しい乗用車。父は古いが頼りになる大型の四駆車。それが何だか街と村の生活の違いを反映しているようだった。300キロという距離自体は北海道で暮らす僕の感覚からすると、決して遠いものではない。だが、森に囲まれた村と街との暮らしの違いは大きい。その差はいったい何だろう。旅のあちこちでそんな思いが頭をよぎる。北海道では札幌への一極集中が進み、地方は人口流出が続いている。タイガの暮らしはこれからどんな風に変わっていくのだろうか。
ヤール村は紅葉の真っ盛りだった。夜、屋外のトイレに向かうと、あきれるほど星だらけの空に、フクロウの声が染み渡るように響いた。霜が真っ白におりた秋晴れの日、村人と一緒にチョウセンゴヨウの実を拾いに出かけた。