彼女の半生は波瀾(はらん)万丈だ。中学生の時に横断性脊髄炎を発症し下半身麻痺。以後も、心臓病、高血圧症などで20回以上の入退院を繰り返す。さらに23歳で初めて出場した水泳大会の帰り、交通事故に巻き込まれ頸椎損傷。左手の麻痺、体温調整も利かなくなり、障がいが増えてしまった。「手術の回数も数えられない。両手両足じゃ足りないもの」と。幾重のピンチ歴に唖然(あぜん)。まるで不死鳥のようだ。
意識変える教育を
そんな成田さんが現在、エネルギーを注ぐのが「東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」理事としての活動だ。彼女の体験を通し、日本の現実は2020年のオリンピック・パラリンピック開催国としてどう映っているのか。
「日本人は障がい者に慣れていない。困っていても、遠巻きに見ているだけ」と厳しい。車椅子で立ち往生していても「お手伝いしましょうか」「大丈夫ですか?」と声をかけてくる人は少ないという。「2020年にむけて変わらなくちゃならない。建物を作るにはお金がかかるけど、意識を変えるのにお金はかからない」。そのためには教育が大事だと彼女は言う。