根っこに近い部分で
僕は京都の人間ではありません。友人たちはいるけれど、住んだこともなければ、血縁があるわけでもない。だから、一生観光客のままでいいと思っていました。「そうだ」と思いたったとき新幹線に乗り、寺社や庭を眺め、時候のおいしいものを頂き、大いに酒をのむ。そして、また東京に帰っていくのです。
そんな僕が、京都の写真家 中島光行さんに会って、少し欲が出てきました。最初の晩、このまちで生まれ育った彼は、自身が二十年以上も前にアルバイトをしていた小さな居酒屋に僕を連れていきました。当時から変わらぬ大将がつくる味はどれも絶品。なのですが、何よりも驚いたのは、その居酒屋が纏(まと)っている空気にです。近所の人がふらりと来ては、だらだらしゃべり、少し「あほぅ」な冗談をいい、「おもろい」話にみなで笑う。奇人変人、大いに結構。しかもみんなが痛風持ち。
京都の裏側を垣間みた。という単純な話ではありません。誰もが描く京都人のステレオタイプとは明らかに違う生の京都を実感したとき、僕は「なんだ、あんまり変わらないな」と自然に思えたのです。京都を京都たらしめていたのは、京都に住まない僕らでした。そして、京都に暮らす様々な人と、それぞれの根っこに近い部分で話をしてみたいと思ったのです。