しかし大学生活は史男に、青春特有の陰りをもたらした。66年に描かれた「無題」では、キャンパスらしき建物の上に、輝くというより、黒々と空いた穴のような太陽が浮かんでいる。
絵の余白には、詩なのか、「太陽をみていたら/エレキの音がきこえてきた/早稲田レデイのハイヒールの音/早稲田マンのスクラムの音/太陽とエレキの街、ワセダでも(orデモ)/スモッグとタバコの煙の彼方で/太陽はひとりぼっちだった/もう、ぼくには、小学生の時、/描いた太陽(太陽の絵)は/描けない」と記されている。
とくにこの年、大学紛争が激化し、学生間の対立を前にして史男は懊悩し、精神のバランスを崩した。このころから、絵の色調は暗さを帯び、内面の心象風景を描くように抽象性を増して、30~40センチの小品が中心になっていく。