オールプロでアテネ五輪に出場した日本代表チームの左から三浦大輔投手、清水直行投手、福留孝介選手、上原浩治投手。日の丸を背負った仲間たちとの思い出は今も鮮明だ=2004年8月15日、ギリシャ・首都アテネの野球センター(産経新聞撮影)【拡大】
吉報が届いたのは、年明けからのニュージーランド・オークランドでの長期滞在のため、東京都内の自宅から荷物を運び出すまっただ中のことだった。
実施競技復活が現実に
日本時間の12月8日夜。モナコで開かれた国際オリンピック委員会(IOC)の臨時総会で、五輪開催都市が実施種目を追加できることが盛り込まれた中長期改革「五輪アジェンダ2020」が承認された。これまでIOCと聞いても、随分と遠くの組織という感じがしていたが、今回は違った。この承認を受けて、2020年東京五輪の大会組織委員会が野球・ソフトボールの実施を決めれば、野球の五輪復帰が現実となる。ニュースを聞いたとき、日本だけでなく、ニュージーランドや世界中の野球少年の顔が思い浮かんだ。
「みんなに大きな夢ができた」
現役時代、日の丸を背負って戦った経験がある。2004年アテネ五輪。野球の日本代表が初めてオールプロで臨んだ大会だった。
支給された五輪マークが刺繍されたブレザーは、今も自宅に大切に取ってある。国を背負い、一緒に戦う仲間たちとの思い出は今も鮮明だ。