400年前の京都といえば、長い戦国の世から解放され、五条河原では出雲の阿国が踊り、色鮮やかな女物の着物を羽織った「かぶき者」などと呼ばれる不良少年が闊歩(かっぽ)した時代。商人は金もうけをするだけでは尊敬を集められず、祇園祭の山鉾(やまほこ)の装飾品を寄付したり、目利きを競っては絵を注文した。春には花見、秋には紅葉狩りと京都の町全体が季節を愛でる舞台となるなど、独特の美意識が育まれていた。そうした背景が琳派を生み出したのでないかというのが、キーヤン流の分析だ。
さらに、「琳派は日本で最初にできたポップアートや」とも話してくれた。権力者ではなく、町衆(ちょうしゅう)から生まれた絵のムーブメント、琳派。かたや、額に入った絵を描いたり、美術展に出展したりせず、町中に絵の舞台を求めるキーヤン。どこか似たにおいを感じるのは記者だけではないだろう。
「京都にいる間にそういう(琳派の)DNAが乗り移って、こういうことしてんのかもわからんな」。キーヤンがこんな風につぶやくのを聞いた。琳派の絵師は家系や師弟関係ではなく、時間や場所を超えた私淑によって独自の芸術様式を断続的に継承してきた。キーヤンがその系譜に連なっていても不思議ではない。