サイトマップ RSS

沖縄の「佐藤演説」 米圧力で修正 外交文書 一般公開  (1/4ページ)

2015.1.16 09:05

1965年8月、ワトソン米琉球列島高等弁務官(左)の出迎えを受けて那覇空港に着いた佐藤栄作首相(共同)

1965年8月、ワトソン米琉球列島高等弁務官(左)の出迎えを受けて那覇空港に着いた佐藤栄作首相(共同)【拡大】

  • 沖縄返還前の米軍嘉手納基地。本土復帰後も極東の重要拠点として維持されている=1969年2月(共同)
  • 沖縄県那覇市の那覇航空基地

 1965年8月に当時の佐藤栄作首相が米国統治下の初の沖縄訪問時に行った歓迎式典での演説で、事前に決まっていた原稿を、直前に米側の強い主張で基地の意義を強調する文言を加えて修正していたことが、15日公開の外交文書で明らかになった。日本は米側の要求に抵抗したが結局、米側の圧力に屈し「極東の平和と安定のために沖縄が果たしている役割は極めて重要」などの一文を加えた。

 1965年訪問時

 佐藤氏は65年8月19日に「米側の招待」の形で沖縄を訪問した。2日前の17日付で外務省が作成した文書によると、日本側と在日米大使館担当者が17日、佐藤氏の演説内容をめぐって協議した。

 米側は、日本側から事前に受け取った那覇空港到着時と映画館「国映館」での演説案について「沖縄の戦略的、軍事的重要性に言及していない」と指摘し、極東、特に日本の安全保障に関して強調するように強く迫った。

 日本側は「首相決裁後で変更は困難」「首相の意図は米側を非難するものではない」「沖縄での別の歓迎式典で沖縄の軍事的重要性に言及する」などと伝えた。

基地の意義強調

産経デジタルサービス

産経アプリスタ

アプリやスマホの情報・レビューが満載。オススメアプリやiPhone・Androidの使いこなし術も楽しめます。

産経オンライン英会話

90%以上の受講生が継続。ISO認証取得で安心品質のマンツーマン英会話が毎日受講できて月5980円!《体験2回無料》

サイクリスト

ツール・ド・フランスから自転車通勤、ロードバイク試乗記まで、サイクリングのあらゆる楽しみを届けます。

ソナエ

自分らしく人生を仕上げる終活情報を提供。お墓のご相談には「産経ソナエ終活センター」が親身に対応します。

ページ先頭へ