この未来の町では書物のかわりに、市民全員に超小型の「海の貝」が与えられ、どこへ行くにもそこから流れる情報を聞くようになっていた。家に帰れば帰ったで、部屋に巨大なスクリーンが装置されていて、たとえ一冊の書物がなくともそこから提供される知識と娯楽で生活がたのしめるという制度なのだ。
ところが、意外なことがおこってきた。住民が「ぼくはスウィフトのガリヴァーだ」とか「私はマタイ伝」とか「ぼくはプラトンの『国家』だ」とか言い出し、一人ひとりが次々に書物化していったのだ。科学好きはアインシュタイン化し、アナキストはマハトマ・ガンジー化していったのである。
この物語はたいへん示唆的だ。われわれもいまや、インターネットと電子機器で情報と知識と娯楽の多くを享受するようになってきた。それらは万人に提供されつつあるけれど、そのぶん書物は個人の持ち物から脱落しつつある。これは「見えない焚書」がおこっているようなものなのである。銘ずべし。