かつて京都に250軒あった桶職人も数軒に減った。一般家庭の桶の需要が1000分の1になった今でも仕事を続けられるのは、料理屋向けの器を作っていたことが一因だという。京料理に使われる白磁の薄い器には、ぶ厚くてゴツゴツした武骨な形は似合わない。お互いを引き立て合う上品な形が必要だった。さらに京都では、素材である木を他の所から運び込むことから、材料の単価が高かった。同じ材料で1個作るところを2個作る。デザインもおのずと繊細になる。そうやって、どの産地とも異なる独自の姿が生まれた。
「若いときはいかに新しい意匠を生み出すかについて、夢中になっていたけれども、デザインって自然に生まれるものでもあるんですね」