たとえば『聾瞽指帰』(ろうこしいき)の冒頭の「聾」の字だが、「龍」の結筆の点前で捩(よじ)れて「耳」の横棒に入るにしたがって戻していく。これは梵字からの応用であろう。こういう一瞬の運筆の妙が「請来目録」「灌頂(かんじょう)歴名」にも「真言七祖像名号」「益田池碑銘」にも、むろん飛白の「十如是」にも躍如した。
なぜ空海にこんなにも他の追随を許さない書が発露できたかといえば、普遍と例外の両方に通じ、その両方ともに価値を横溢させることが、書による世界表現だと確信していたからだ。多くの者は普遍と例外を区分けしてしまうのだ。
弘法大師空海はそんなことをしなかった。普遍の渦中に例外を見いだし、例外を普遍に延展できたのである。やはり書聖とこそ呼ばれるべきだ。
今年は高野山開創1200年。いまでも奥の院では弘法大師が生きていて、その息づかいが伝わってくるという。