バッハが楽譜に何かを装飾させていることなら、大作『音楽の捧げ物』に秘めた10曲のカノンはリチェルカーレの謎カノンだったのだし、最晩年の『フーガの技法』のBACH音型にしてから音のアナグラムだったので、それなりに知られていることだった。しかし、カバラのゲマトリアを駆使していたとなると、これはバッハを神秘主義者の番付の上位に入れるということになる。なぜバッハは数の神秘にこだわったのか。「神の数」を音楽にしたかったからだ。
未曽有の殺戮をまきちらした第一次世界大戦のあと、オスワルト・シュペングラーは『西洋の没落』を書き、世界が戦争にまみれたのは、人類が現実の数字のやりとりに血道をあげるようになって「大いなる数」を忘れたからだ、われわれはいったんヤーウェやゲーテに倣って「神の数」を取り戻そうと主張した。
絵画であれ音楽であれ演劇であれ、バロックまでの古典技法というもの、そもそもアナロギアとミメーシスとパロディアでできている。類推に耽る、模倣に凝る、諧謔を遊ぶという技法だが、その中心には「神の数にもとづいて」という精神が貫いていた。すべてを神に擬して技法のかぎりを尽くそうという精神だ。スメントやタトローはバッハこそがその古典技法に長けていたと読んだのだ。