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作家の穏やかさと爆発力感じる場所 「赤瀬川原平の芸術原論展 1960年代から現在まで」 椹木野衣 (2/5ページ)

2015.2.23 15:00

赤瀬川原平「患者の予言(ガラスの卵)」1962/1994年、作家蔵(名古屋市美術館寄託)

赤瀬川原平「患者の予言(ガラスの卵)」1962/1994年、作家蔵(名古屋市美術館寄託)【拡大】

  • 赤瀬川原平「ハレーション」2012年(作家蔵、協力:ギャラリー58、提供写真)
  • 「櫻画報」第31号_『朝日ジャーナル』(1971年3月19日号より、個人蔵、提供写真)
  • 赤瀬川原平「四谷祥平館純粋階段」(1972年、作家蔵、提供写真)
  • 大分市美術館の外観=大分県大分市(提供写真)

 加えて赤瀬川は原平、赤瀬川克彦、尾辻克彦としばしば名を変えている。一連の仕事が同一人物によるものと気付いていない人だって、少なくはなかろう。

 本来であればこの展覧会は、ここまで多岐にわたる赤瀬川の仕事を、一人の芸術家の名のもとに一望する「経過報告」を得るためのものだった。副題に「1960年代から現在まで」とあるのは、そのためだ。けれどもこの趣旨は、展覧会開催の直前に、突如として意味を失った。「赤瀬川が消えた」からだ。そのことで同展は、突如として途中報告ではなく遺作展となった。

 いくら病床にあったからとはいえ、本展が、そのことを前提に作られているはずがない。おのずと、展示の内容や図録の構成、広報の文言と現実とのあいだには、微妙だけれども、決して埋まらない溝が生まれた。

 このことをはっきりさせるため、私は、都心からは利便であった千葉市美術館での展覧会には、あえて足を運ばなかった。その代わり、赤瀬川の事実上の故郷と呼んでいい大分市へと足を運んだ。そして、市の高台にある大分市美術館で開催中の巡回展へと向かった。赤瀬川が高校時代までを過ごし、先日、弟のあとを追うように他界した、実兄で小説家の赤瀬川隼が繋(つな)いだ縁で、初めて美術と出合った場所だからだ。

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