午前と午後を費やして、展示のすべてを舐(な)めるように観たあとで、休憩所の椅子に座ると、その対面に、パノラマのようにとられた大きなガラス窓が広がっていた。そこから望めるのは、別府湾から由布岳に至る、火山が形作った山々の連なりと、海の迫り具合だった。なるほど、火山か。実に赤瀬川らしいではないか。そう私は思った。火山は、ふだんは風光明媚(めいび)な景色の一部で、その恵みの象徴である温泉のように、私たちの心身をともに温めてくれる。しかしひとたび噴火すれば、周囲を恐るべき危機にさらし、ときには人の命運さえ左右してしまう。けれども、やがてまた、それらのすべてが嘘のように静まるのだ。
赤瀬川本人も、ふだんは心温まる趣味人であった。実際にお目にかかっても、過激そうなところなど、なにひとつ感じられなかった。その同じ人物が、あるときは千円札の模型作品で国家の裁きを受け、またあるときは「櫻画報」での筆禍によって『朝日ジャーナル』を自主回収・一時休刊にまで追い込んだのだ。まるで火山のような表現者であった、と言うほかない。(多摩美術大学教授 椹木野衣(さわらぎ・のい)/SANKEI EXPRESS)